デビューも物語も、すべてが異例――。『聖者のかけら』著者・川添愛さんインタビュー

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聖者のかけら = IN LOCO TUTISSIMO ET FIRMISSIMO

『聖者のかけら = IN LOCO TUTISSIMO ET FIRMISSIMO』

著者
川添, 愛, 1973-
出版社
新潮社
ISBN
9784103528913
価格
2,970円(税込)

書籍情報:openBD

デビューも物語も、すべてが異例――。『聖者のかけら』著者・川添愛さんインタビュー

[文] カドブン

小説家デビューへの道は、版元主催の新人賞受賞を経るのが王道です。しかし今回、老舗文芸出版社が満を持して送り出したのは、気鋭の言語学者による異例の持ち込み原稿、しかも、日本人が一人も出てこない、中世イタリアが舞台の大型歴史ミステリです。物語の題材も経歴も一風変わった、ミステリアスな新人作家に迫ります。

――デビューまでの経緯を教えてください。

川添:これまでにも、自分の専門分野である言語学や人工知能、コンピュータ、数学などを分かりやすく紹介するため、物語形式の本をいくつか書いていました。ですから、本作が純然たる小説家デビューというわけではないのですが……。  ただ、フルタイムの研究職を離れた数年前に、これまでの専門とは関係がないけれども、自分が興味を魅かれた題材について書いてみようと思い立ったんです。それから、本にしようとか、新人賞に応募しようとか、そういうことは深く考えず、この物語を最後まで書き切りました。

 そんな折に、新潮社のある編集者さんから「言語学についての選書を書きませんか?」というご依頼をいただいて。それはそれでお引き受けしたのですが、「実はこんなものを書いたんです」と『聖者のかけら』の原稿をお渡ししたんですね。その方が小説の編集の方に直接繋いでくださったんです。

――小説担当の編集者がそれを気に入って、こうして本になったわけですね。物語は、十三世紀イタリアの、ある修道院で次々と奇跡を起こしている聖遺物(聖者の骨)の謎をめぐる歴史ミステリです。聖者の遺体消失の史実を元にしたそうですが、なぜこの題材を書こうと思ったのでしょうか?

川添:ひとつは、私が長崎の出身で教会やキリスト教が幼い頃から身近にあったということ。また、五年前にウィーンのシュテファン大聖堂を訪れた時、その宝物庫で偶然に聖遺物の展示を見たのがきっかけです。展示に圧倒され、以来興味を持つようになりました。  調べてみると、面白いことが次々と分かりました。例えば、当時は聖者の骨や髪の毛、身に着けていたものまで、様々なものが売買の対象になっていたり、そのために聖者の墓が掘り返されたり。聖遺物は色々な奇跡を起こすとされていますから、当時の教会が権威付けなどのために利用していたらしいのです。  その他にも調べれば調べるほど、面白い謎や事実が次々と目の前に現れてきて、そこからストーリーを組み立て、膨らませていきました。

――ミステリであると同時に、「信仰とはなにか?」を問う小説にもなっています。

川添:冒頭に引用した「蛇のように賢く、鳩のように素直でありなさい」(マタイによる福音書十章十六節)という一節は、私が聖書の中でもっとも好きな箇所であり、この物語に通底するテーマでもあります。清貧を追求し、神に近づこうとするベネディクトと、金の亡者であるピエトロの主人公二人に、鳩と蛇のイメージを重ねています。

 清貧だけでは生きていけないですし、かといってお金ばかりを追い求めるのもどうかと私自身は考えています。その間のバランスが重要ではないでしょうか。

 ただこのテーマは、はじめから書きたかったものの中心にあったのではなく、自分が面白いと思える展開、ストーリーを書いていくうちに、自然に浮かび上がり、収斂していった感じです。

――奥行きある登場人物たちの活躍や、起伏とスピード感に富んだ物語、ちりばめられた伏線の回収など、とても新人作家とは思えない手捌きには舌を巻きました。

川添:いくつか書籍に加えて、論文も数多く書いてきました。とにかくゴールまで書き切る経験はしていますので、それが良かったのでしょうか(笑)。

 もちろん、苦労した点もあります。担当編集者さんからは、風景描写をもっと入れてほしいと要望があったのですが、当時と今では街並みが違いますから、資料を探すのもひと苦労でした。他にも色んな指摘をいただいて。全てを容れて書き直したわけではありませんが、なぜこの指摘が入ったのだろうと、自分の小説を見つめ直したことで、確実にクオリティは上がったと思います。今振り返ると、とても楽しい作業でした。

――今後はどんな作品を書いていきたいですか?

川添:今は、本作で全てを出し尽くしたという感じです(笑)。ただ、隠れキリシタンの話など、キリスト教関連でいくつか書いてみたいものはありますね。本作のように、偶然の出会いを大切にして書いていきたいと思います。

取材・文:編集部 

KADOKAWA カドブン
2020年3月31日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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