もどかしさを残して揃って足踏み『群像』『新潮』『すばる』

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もどかしさを残して揃って足踏み『群像』『新潮』『すばる』

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


群像 2020年3月号

 今回の対象は文芸誌3月号。小説作品の目玉は次のような並びである。

 崔実(チェ・シル)「pray human」、古川真人「生活は座らない」(群像)、高山羽根子「首里の馬」(新潮)、宮内悠介「黄色い夜」(すばる)

 どの作にも推し切れないもどかしさを覚えた。もちろん内実はまったく違うのだけれど、読後感には似たところがあって、それは、どこかちぐはぐでまとめ切れていない印象である。

 いちばん興味深く読んだ宮内「黄色い夜」で話を進めよう。主人公の日本人であるギャンブラーのルイが、エチオピアから独立した「E国」へ向かう。E国はカジノ経営に基盤を預けている「侵略を容認したシステムの上に立つ国家」であり、中枢をなすバベルの塔のようなカジノ、その頂点での賭けに勝った者は国家を手に入れることができる。「これがE国の原則だ」。ルイはE国を乗っ取りに来たのである。

 荒唐無稽だが、背景とする国際情勢や、塔のセキュリティシステムの設定、駆け引きの描写などが奇妙なリアリティを与えている。

 だがクライマックスの、いわばラスボスとの勝負以降が風呂敷を慌てて畳んでいるようなのだ。主題は抽象的な会話で性急に処理されてしまうし、最たる動機であった恋人との顛末もそそくさと済まされてしまう。非常にもったいなく感じた。

 読者としては今月は、評論、批評のほうに面白いものが多かった。「文」×「論」をテーマに総合雑誌化を進めると宣言しリニューアルした『群像』が内容を充実させてきたからだ。ただ、それらが現在の文学と切り結んでいるかと見ると微妙なところがあるが。

 出色は、四方田犬彦「北朝鮮『帰還』船は新潟を出て、どこに到着したか」(群像)。1959年から始まった在日朝鮮人帰還運動について、当時の映画4本を振り返り論じたものだ。日本人監督による北朝鮮プロパガンダ映画、韓国の反北アクション映画、吉永小百合主演の『キューポラのある街』とその続編という内訳で、かつての北朝鮮礼讃と、現在の同国蔑視が、日本人の築いた「神話」の表裏として結び付けられる。

新潮社 週刊新潮
2020年4月9日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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