野球部は“特別な場所”ではない 暴力を根絶するための道筋

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野球部は“特別な場所”ではない 暴力を根絶するための道筋

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 今年春の選抜大会が中止になったことを知った数日後に、この本を手に取った。副題に衝撃を受けた。

 珍しくないのだ。「殴る」ことが。恐ろしいと思う一方で、知っていたじゃないか、とも思う。わたしたちは多分、高校野球を見るとき、感動を曇らせたくなくて思考を停止させている。仕方ない面もあるのかもしれない、と。

 野球に的を絞った著作を数多く発表している著者は〈野球と暴力はいまだに親和性が高い〉と言い切る。いまだに、という一言の中に、現在進行形の事実が重く存在している。なぜ断つことができないのか。数々の証言から浮かび上がってくるのは、暴力は効果的な指導手段だとする盲信がはびこっているということだ。

〈監督に初めて殴られたときは、『やっと俺のことを覚えてくれた』と思って、うれしかったね〉と明かす元選手。〈私が手を上げたことで改心して、立派な社会人として人生を送った教え子はたくさんいます〉と言う名監督。読みながら思い出したのは、甲子園で優勝経験もある某高校野球部OBの知人に同行し、彼の母校を訪問したときのことだ。グラウンドに入った彼は、練習する後輩たちに向かって太い声で乱暴な言葉を投げつけた。困惑しているわたしに、彼は笑顔で言った。「まあ、外の人には分からないよね」。

 必要悪だと、彼は言いたかったのだろう。しかし、野球部をそのような「暴力・暴言が許される特別な場所」にしておいていいのか。著者は問題を提起すると同時にその先にも視線を遣り、暴力を意識的に排除しているチームや、殴られることなく野球を続けた選手の意見も提示しながら、根絶のための道筋を模索する。

「社会全体で考えていくべき」といった紋切り型の結論を置かず、安易な希望も書かない。これからも当事者として見つめ続け、伝え続けるという真摯な姿勢が貫かれた一冊だ。

新潮社 週刊新潮
2020年4月16日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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