映像人類学者の川瀬慈が、古川日出男の新作『おおきな森』を読んで思ったこと

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おおきな森

『おおきな森』

著者
古川 日出男 [著]
出版社
講談社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784065187395
発売日
2020/04/23
価格
4,400円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

潜れ! 世界が乱れ咲くまで

[レビュアー] 川瀬慈(映像人類学者)

 果てしなく終わりのない森だ。分裂、増殖を繰り返し、繁り続ける森だ。巨大な国家も都市も、辺境も、生も死も包みこむブラックホールのような森だ。その奥で、不気味に光る無数の物語が、ぜえぜえと呼吸をしている。その枝は岐れ、くねり、秘密の樹液をどろりと垂らす。樹液が零れ落ちたそこは、光のふるさと、時間の発生源(マトリックス)、インドラの網。枝はさらに伸び、岐れ、ゆがみ、からみあい、伸縮をやめることはない。それはついに碧色の海に突き刺さり、大きな波紋をつくる、いや、海が森に喰われるのだ。ここはどこだ? 東京、大阪、いやおおざか、第三満州国、イーハトーブ、京都、いや新京だ。北半球の新京、南半球のブエノスアイレス。いつだ? オマエは誰だ? そうたずねる《私》こそ誰だ? 《私》は犬だ、人であり、犬だ。この深い森の繁み、繁みのなかに溺れていく。神隠しにあった、いや、森に喰われるのだ。いや、オマエは神隠しにあうまえから、すでにここにいた、ずっとここにいたのだよ。オマエのイーハトーブの襞の奥に。ここはいーはとーぶではない、第二イーハトーブ、第三イーハトーブ…。森のなかに銀河鉄道が延びていく。

 先行する国内外の文学作品、銀河鉄道の夜(宮沢賢治)、百年の孤独(ガブリエル・ガルシア=マルケス)、イノチガケ(坂口安吾)、アレフ(ホルヘ・ルイス・ボルヘス)、犬母…。《私》は物語のなかに分け入り、著者になり、著者と《私》が相互貫入し、物語を内破しつつ、さらにその転身譜を生み出す。文士探偵・坂口安吾が失踪した高級コールガールたちの行方を追う第一の森。記憶を持たない人間、丸消須ガルシャの第二の森の旅。《私》は小説に導かれつつ、各地を漂白し「消滅する海」を書く。そして《私》は省察する京都で、長崎で、東北で。書くという行為を。《私》は書く。いや《私》は書いていない。書かれているのが《私》だから。分裂し、増築され、産出され続ける空間。時間は伸び、縮み、その伸縮運動は一気に加速していき、めまいをおぼえ、嘔吐しようとするが、そこからは何も出てこない。何かにしがみつこうとするが、そこには何もない。言語の、小説の、エクリチュールの外の、思考前の思考。野獣の叫び、慟哭。語りの位相、語られる者の姿は多面体であり、まばゆいばかりの光をはなっている。その光がそれぞれの姿を映し出し、ぶつかり、閃き、無数の巨大な光になって輝き《私》に天地開闢をうながす。

 ラジオ放送の宮沢賢治がさけぶ「死者が死者たちのを生む。死者たちが死者たちを素材にした森をす。死者たちの鉄道も産出する。この鉄道を、私であれば『銀河鉄道』とぶ。さあ、それでは、この列車に乗らんとするのは?」

 さあ乗るか? 森にのまれるか?

河出書房新社 文藝
2020年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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