ラストはNetflix的――ケンドリック・ラマーの引用から始まるアメリカ若手作家の短編集とは?

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フライデー・ブラック

『フライデー・ブラック』

著者
ナナ・クワメ・アジェイ・ブレニヤー [著]/押野素子 [訳]
出版社
駒草出版
ISBN
9784909646279
発売日
2020/02/03
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

ビンジリーディングなるものがあるならば

[レビュアー] 若林恵(編集者、音楽ジャーナリスト、ライター)

 本作を映像化するならどんな手立てがあるだろうと考えながら読み進めた。巻頭のケンドリック・ラマーの引用から、五行目にしてすでに「ブラックネス」の言葉が飛び出す第一話の「フィンケルスティーン5」を読めば、それが映画『ムーンライト』のようなちょっと淡々とシリアスな色調がふさわしいと思えてくる。あるいは穏健な主人公が徐々にテロリストへと追い詰められていくさまを『ジョーカー』のように描くこともできるだろうか。

 ところが、第二章の掌編を挟んで先へと読み進めていくと様子が変わる。三話目は、遺伝子操作による人格デザインがあたり前となった未来が、次いで堕胎を決断したカップルに双子の“水子”がついてまわる日常が、さらには「正義」をテーマにしたゲームのあるテーマパークで働く男の仕事が、あるいは買い物客がゾンビのように押し寄せスプラッタームービー化する「ブラック・フライデー」の衣料店などが描かれる。現実世界と語りの世界とが融解し混濁する世界は、リアリズムに徹した実写映像ではおそらくカバーしきれない。「アドベンチャータイム」のようなナンセンス&シュール・アニメの話法でも使わないと回収しきれまい。『ゾンビランド』のようなゾンビコメディの話法も必要だろうし、天使が飛び交うある章ではキアヌ・リーブス主演の隠れた傑作『コンスタンティン』を思い浮かべたりもした。

 一話目からしてたしかに違和感はあったのだ。これは『ムーンライト』ではなく、もしかしたら『ルーク・ケイジ』のようなアメコミの手法をもって描くべきものなのかもしれないと思わなくもなかった。表題からして「ヒーローもの」が匂わされていたと見えなくもない。ぐちゃぐちゃな作品集だと言えばそうだが、プロローグのケンドリック・ラマーのことばを注意深く検討してみれば趣旨は見えてくる。「心に描くものは、すべて君のもの」とケンドリックは言う(Schoolboy Qの“Blessed”という曲のリリックのようだ)。

 ケンドリックの言葉を「ブラックネス」に引きつけて、すぐさまレイシズムやヘイトといった文脈で読解することは慎むべきなのかもしれない。この短編集に収められているのは、むしろわたしたちの現実を取り巻き、現実とわたしたちの間にあってフィルターとして機能する物語/フィクション(心に描くもの)をめぐる物語に違いない。アニメからゲーム、マーヴェルやらゾンビ映画やらがぐちゃぐちゃと焼きついた網膜、それをぐちゃぐちゃに溜め込んだ脳。そこから生成されるグロテスクで暴力的な映像や想念。混濁する現実とフィクション。明け方までビンジウォッチングしたあとに見る悪夢のようにそれはリアルだ。

「SVOD向き」なんて言ったら文学愛好家は怒りそうだが、本書のラストシーンの美しいホワイトアウトは見事なまでにネットフリックス的だ。シーズン2が楽しみになるではないか。

河出書房新社 文藝
2020年夏季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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