『生きて行く私』
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周囲の女性たちの運命も変えた“異端者”の自伝
[レビュアー] 梯久美子(ノンフィクション作家)
【前回の文庫双六】古風ながら落ちが秀逸 人間通によるユーモアの世界――川本三郎
https://www.bookbang.jp/review/article/619878
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サマセット・モームの短篇「大佐の奥方」で思い出したのが、詩人の萩原朔太郎とその妻・稲子のことである。
「大佐の奥方」は、女性としての魅力を失ったとしてないがしろにされていた妻が、年下の青年との情熱的な恋をテーマにした詩集を出して夫を狼狽させる話。朔太郎も、つまらない女だと思っていた妻に浮気をされている。相手が若い男だったこともモームの小説と同じだ。
宇野千代・尾崎士郎夫婦をはじめ、室生犀星、広津和郎などが居を構え、文士村と呼ばれた東京・馬込に萩原夫妻が引っ越してきたのは、大正15年11月のことだ。近藤富枝『馬込文学地図』によれば、結婚8年目のこの頃、朔太郎はすでに稲子に飽きており、宇野千代に「ぼくたちは倦怠期でね。もう一度夫婦間を緊張させるような愛の技巧を稲子に伝授してくださいませんか」と相談したという。千代はよしきたとばかりに引き受け、稲子を自分の所へ来る若い男たちに引き合わせた。
加えて朔太郎は、当時、文士村で流行っていたダンスを稲子に勧める。千代にならって断髪・洋装というスタイルにした稲子は、ダンスも上達し、みるみる美しくなった。そして慶応の学生と恋に落ち、家を出てしまうのである。
当時、断髪の女性はまだ珍しかった。それは女性がそれまでとは違う自分になる意志のあらわれであり、周囲への宣言でもあった。
千代は、ベストセラーになった自伝『生きて行く私』で稲子の出奔について触れているが、その中で「髪を切ったことが悲劇の原因になるなどと言うことは、現在では信じられないことである。髪かたちのことくらい、とは言えない。どんなことでも、人のしていないことをするのは異端者である」と書いている。
異端者であることを存分に楽しんだ千代は、その魅力によって男たちを虜にしただけでなく、周囲の女性たちの運命も変えたのである。