戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感

対談・鼎談

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人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても

『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』

著者
戸田 真琴 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784041085059
発売日
2020/03/23
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感

[文] カドブン

AV女優・コラムニストの戸田真琴さんが、新刊『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』を発表。消費されること、女性として生きること、愛の渡し方について正面から向き合った1冊です。刊行を機に、フェミニズムや他者との関わりについて人気連載を持つライターのヒラギノ游ゴさんと対談。女性が被る理不尽、男性の生きづらさについて、それぞれの立場から語り合います。

ヒラギノ:フェミニズムに触れる内容だというのは伺っていたので、まずこの本を受け取って装幀が“ピンクじゃない”ことに安心しました。

戸田:ありがとうございます(笑) デザイナーさんが原稿を読んで、この鮮烈な赤い装幀を提案してくれて嬉しかったです。

戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感
戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感

■優しさは技術でしかない

ヒラギノ:戸田さんが映画『ジョーカー』評で、「自分が男性に生まれたら、強者に虐げられる弱者男性になっていたと思う」と書かれていたのが印象的でした。戸田さんの文章はそういうふうに、異なる立場に自分を置き換えてシミュレーションすることを都度丁寧にやってらっしゃる印象があります。

戸田:そうですね、そこは意識していると思います。たとえば、優しくあろうとして取った行動も、深入りしすぎると優しさとして受け取られなかったりする。でも、行動に移さずに留めておくにしても、考えることをしなくていいわけじゃない。私が「優しさって想像力のことだ」とずっと言っているのはそういう意図があります。

ヒラギノ:ああ、まさにですね。僕はちょっと違う表現ですけど、“優しさは技術でしかない”と常々言ってるんです。

戸田:だいたい同じようなことを言ってる気がしますね。たとえば新型コロナウィルス感染拡大を防ぐための外出自粛が続いている今みたいに、不安だったり自分に余裕がないときでも相手のことを思いやる。それには気持ちだけじゃ十分じゃなくて、技術が要ると思います。

ヒラギノ:ですね。いろんな人に対する“優しくしかた”の知識があれば、尊重できる人の種類が増える。

 だからフェミニズムって超便利なんですよね。尊重の技術が体系化された教科書みたいなものなので。このジャンルを知っておくと“優しくしかた”の技術が身につく。戸田さんの言い方だと“想像力が働くようになる”。

戸田:そうですね。それに、想像力を働かせてこなかった人も決して“考えられない”わけではなくて、たまたまそれまで機会がなかっただけという場合も大いにあると思うんです。

ヒラギノ:本当にそうですね。同じ知識を持っていれば全員同じレベルに達せるのが学問という道具のいいところだと思うんですよ。電車に詳しくなくても、乗り換え案内アプリを持っている人全員がスムーズに乗り換えできるように。だからこそ、考える機会から遠ざけられてしまう不公平は恐ろしいことで。

戸田:私が書いている記事を読んだ同業の女の子たちから突然連絡がくることがたまにあります。けっこう「稼げるじゃん」くらいの気持ちで業界に入ってくる子もいるんですけど、そういう子が私の記事を読んで、「ものすごい気づきがあった」と言ってくれるんですよね。

 だから、そういう子達の気づきの機会を潰さないように、一方で、頭ごなしに否定しないようにギリギリで表現を調整して書いているところはあると思います。

戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感
戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感

ヒラギノ:戸田さんは、ときに加害者側になってしまうような男性たちに対しても否定しきらない姿勢で文章を書かれているように感じます。

戸田:否定していても始まらないという思いが強いですね。話が通じないって思っちゃうことはあります。けれど私は目上の男性相手でも、疑問があったら適宜反論するんですよ。「こうだからこうした方がいいんじゃないですか?」って、必ず真顔で。そこで絶対に微笑まないのは、媚を売らないため、女性として見られることで楽をしたいと思わないから、“いい女”と思われたくないから。でも、そうすると“怒ってる”と思われるんですよね。真面目に、対等に話をしているだけなのに。私の父もそうで、何を言っても「お前は俺のことをバカにして楽しんでる」って言われました。

ヒラギノ:女性の“目上の男性”に対する態度を誤解している男性は、特に年配の方に多いでしょうね。厄介事を避けるためにへりくだって見せているにすぎないのに、それをデフォルトだと思っている。だから、それをしない人を「なんかこいつ俺に歯向かっているな」って思っちゃう。

■ 私は搾取されてるだけじゃない

戸田:AV業界で働きながら、どうして幸せな恋人設定よりも女性が激しくせめられるコンテンツに偏っていくのか、どういう絶望を辿ってそういうコンテンツばかり見られるようになったんだろうっていうのをずっと考えてるんです。私にできることは何なんだろうって。でも、まだわかっていなくて。

ヒラギノ:ああ、戸田さんはそういうコンテンツを求める人たちを救いたいって気持ちでやってるんですね……。 いわゆる「インセル」にあたるような。

戸田:インセル?

ヒラギノ:恋愛やセックスの経験に恵まれず、女性蔑視を募らせる男性、というのが基本的な意味です。ネット上で女性蔑視的な書き込みをしているような。

戸田:まさにそれかもしれません。私の1冊目の『あなたの孤独は美しい』という本は男性向けに書いてるんですよ。いわゆる男らしくて強い男じゃなくっても大丈夫だよって言いたくて。

 ジェンダー意識がちゃんとしてないけど、ホモソーシャル(男同士の付き合い)にも馴染めない男の人ってたくさんいるじゃないですか? 他者との関わり合い方がわからなくなってしまっている人をみたとき、この人に何がしてあげられるだろう、どうしたら大丈夫になるのかなって思うんです。

戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感
戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感

ヒラギノ:やっぱり、単に手放しで承認を与えるのは危険だと思っています。ジェンダーにまつわることに目覚めて……“ウォーク”って言うんですが、自分の加害性を自覚したうえで、自分のこうむってきた被害の部分、抱えているしんどさに向き合ってくれたら、一緒にがんばろうって手を差し伸べる人はいると思うんですけど。

 何ひとつしでかしたことのない人って、そうそういないと思うんですよ。ぼくたちは性教育もほぼされてない、レイプがデフォルト化したAVだらけの国で育ってるわけで。

戸田:たしかに多いですね。私も出演作が乱暴されるものばっかりの時期があって精神的にこたえたんですけど。メーカー側は「売れるんだからしょうがないじゃん」、ユーザー側は「こういうものばっかり出るから見るんじゃん」って言い続けていて、そのスパイラルが延々続いているんですよね。

ヒラギノ:どっちかが「もうやめようぜ」って言い出せばいいんだけど、どっちも何も言わない、という。戸田さんは、AV業界で働くことについて今どう感じていますか?

戸田:そうですね、結局最初に思っていたよりずっと自分は「消費されること」に対して怒ってるんだなってことに最近気づきました。「消費できるもんならしてみろ」って気持ちで業界に入ったんですけど、実際に突きつけられる物差しとか、期待される役割とか、やっぱり相当ボロボロになるので。

戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感
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ヒラギノ:そうですよね。戸田さんの文章、AV女優というものを手放しで肯定しないのが安心しました。そうだな、戸田さんには立場があっていろいろ反応しづらいと思うから、ここから先は僕の独り言です。リアクションはなくていいです。

 僕、AV女優という職業のポジティブな面ばかりがフィーチャーされるのってすごく怖いことだなって思ってるんですね。今、売れっ子のAV女優さんがInstagramなんかでちょっとしたセレブみたいな、成功者の暮らしみたいなものを発信しているのをよく見かけるんですけど。それに憧れて業界に入っちゃう子は、ものすごい搾取構造の中に飛び込む危険を冒しているわけで。

 今の流れを見ていると、00年代初頭にアゲ嬢が流行ったときを思い出すんですよ。キャバ嬢が悪という話ではなく、キャバ嬢カルチャーに小学生の女の子なんかが憧れる状況のグロテスクさ。で、00年代終盤に深夜番組でAV女優さんがポップに描写されるようになり、今に続いてるのかなって感じてます。最近だとNetflixの『全裸監督』は、実際に起きていたさまざまなことをそぎ落として無反省なエンタメに仕立て上げてしまった。業界の自己批判や自浄作用が健全に機能していたらこうはならないって思うんですよね。

 長くなりました、以上です。

戸田:(苦笑)そうですね、でも実は私も「この仕事、楽しいことだけじゃないよ」って本の中でめちゃくちゃ書いてるんです。簡単に「おいでよ」って言えるわけない。それは業界にいる人たちが一番わかっているはずなのに。

 でも、これって私たちの意地かもしれないんですよね。「私は搾取されてるだけじゃない」って思ってないとどうにかなっちゃうんじゃないかって。私もそういう気持ちになるときあります。

ヒラギノ:僕の側から言えば、「自分も搾取する側なんだよな」ってことを逐一思い返してないとすぐ勘違いしちゃうというのがあります。自分にも男性器があることの恐ろしさというか。

自分がフェミニズムにまつわることを発信すればするほど、「俺は清廉潔白のアピールがしたいだけなんじゃないか?」「“名誉女性”みたいなものになりたいだけなんじゃないか?」って思うことはけっこうあって、たぶん一生つきまとう。

■シスターと出会ったら

戸田:説明が難しいんですけど、私の心の中にも男というか、少年みたいなものが住んでいて、「男の人と少年同士のような友達関係になりたかったのに」って思うことがよくあるんです。でも、性別や見た目のせいでうまくいかなくて。

ヒラギノ:普通に男の子と仲良くなりたいだけなのに、恋愛の意味で好かれちゃって友達になれない、って話はけっこう女の人から聞きます。

戸田:本心から友情を感じていて、「君のこと本当に大事に思ってるから、もし大変なことが起こったら私が身代わりになるから言ってね」とか熱く伝えてたんですけど。

ヒラギノ:“告られた”と思ったんだろうな……。

戸田:そうなんですよ! いつの間にか恋愛にすり替わっちゃうんですよね。近所の友達でいたかったな。

 それに、なんか私、女性に対してもうまくいかないというか。なんていうんだろ、女性に対して、たぶん童貞の男の人が抱くような恐れがあって。

ヒラギノ:ああ〜、“女”という枠に自分がうまくハマってない、みたいな?

戸田:そう、自分は“女”の枠組みにはめ込まれたときに違和感があるというか、私なんかが触れちゃいけない、自分とは違うなんか綺麗なものっていう感覚があって。なんかもう、誰とも仲良くなれない(笑)

戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感
戸田真琴×ヒラギノ游ゴ対談|“女”の枠組みにはめ込まれたときの違和感

ヒラギノ:“女”っていう言葉と“男”っていう言葉が使われる場面や頻度って全然違うと思うんですよ。例えば同僚に嫌な奴がいたとして、男だったら「嫌な人だな」って言われるけど、女だったら「嫌な女だな」って言われる、みたいな。“女”であることに意味が付加されてしまう。

 あとそうだな、フェミニズムの歴史におけるとっても大事な本で『第二の性』(ボーボワール著)っていうのがあるんですけど。第二の性って何かというと、“女”のことなわけです。要は“第一の性”として男があって、私たち女はそれに次ぐ第二の性、“男じゃない方芸人”として扱われているよねっていう皮肉で。

 この本に関しては皮肉であえてこういうタイトルなわけですが、戸田さんはもしかしたら、そういうふうに“男性的な面”をフラットでプレーンな状態と捉えていて、“女”ってものをどこか特別なものとして他者化して見ているところがあるのかもって。

戸田:そういうところ、あるかもしれないです。新刊の「おわりに」は「女性としてこの世界に生まれてしまうと」という書き出しで始まる、女性に向けた言葉を書いているんですけど。私はこの本を書いたことで、自分がこんなに怒っていたんだってことを初めて自覚できたし、これを女性と分かち合いたいんだなっていうのも大きな発見でした。そうか、私は女性とシスターフッドを築きたいんだって。それに気づいてなんというか、「ああ、私はこれからなんだな」って思ったんですよね。

ヒラギノ:ひとりじゃ無理ですよね。戸田さんは今、業界柄もあって近い立ち位置で共闘してくれる人がいない状態だと思うんですけど、この本を読んで考えに共鳴して、戸田さんとシスターになれるひとが現れてほしいなと願っています。連帯できる人と出会えた後の戸田さんがどんなふうに変化してどんなものを書くのか、読むのが本当に楽しみなんです。

▼戸田真琴『人を心から愛したことがないのだと気づいてしまっても』詳細はこちら
https://www.kadokawa.co.jp/product/321904000020/

KADOKAWA カドブン
2020年5月3日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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