『天龍院亜希子の日記』
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有耶無耶にするのも行き詰まりを感じる27歳サラリーマンの日常に寄り添う物語
[レビュアー] 吉田伸子(書評家)
“等身大の日常”に寄り添う物語
本書の主人公は、人材派遣会社に勤める田町譲(ゆずる)、27歳。会社は真っ黒というほどではないものの、グレーよりはブラックみが強い。三年少し付き合った彼女は、父親が倒れたため実家に帰った。その時点で譲的には「大したカレカノ」ではなかったため、緩やかにフェイドアウトするかと思いきや、なぜか二人の関係は上書きされて「結婚が視野に入り始めた」状態になっている。「このまま有耶無耶に結婚コースにいったらやばいな」というのが譲の本音だ。
仕事にも、私生活にも、ぼんやりと不満や不安がありつつも、あえてその状況を打破していこうとするわけではない。まぁこんなものかと流されている自分を、それもしょうがないかとどこかで許している。とはいえ、確実にやる気とか希望とかはゆるやかに目減りしていって、ほどほどの日々にも亀裂が入りそうになる。
そんな時、譲の心の拠り所となるのが、小学校卒業以来、行方さえ知らなかった元同級生(と思しき女性)がネットにあげている日記だ。その元同級生の名が、天龍院亜希子で、タイトルにもなっているのに、肝心の亜希子は、彼女が書く日記、という形でしか登場しない。けれどもそのことが本書の中で、実に“効いて”いる。超強めの苗字なのに、本人自身は地味だった亜希子。そのことを小学生時代にからかわれていた亜希子。けれど、27歳になった譲の心を平らかにするのは、その彼女が綴る、他愛もない日々なのだ。
亜希子の日記の他に、譲を支えるのは、幼い頃からの憧れである元プロ野球選手・正岡だ。薬物スキャンダルで二度とヒーローには戻れない正岡だが、譲にとっては、彼が奇跡的な復活を遂げることが「でたらめな希望」になっている。
日本中に数多(あまた)いる、名もなき譲たち、亜希子たち。本書は彼らの人生を、そっと肯定してくれるような一冊である。
吉田伸子
よしだ・のぶこ●書評家