『啄木断章』
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<東北の本棚>記憶から消し去った詩
[レビュアー] 河北新報
盛岡市出身の歌人石川啄木(1886~1912年)の詩で、世間には知られず、啄木自身も記憶から葬り去ったとされる「老将軍」をご存じだろうか。
「老将軍、骨逞(たく)ましき白龍馬」で始まる5連20行の詩は、1904年の日露戦争・沙河会戦で日本軍の勝利を歌う。啄木の第一詩集「あこがれ」や当時の全集には収録されておらず、05年の「写真画報」(博文館発行)に唯一掲載されていたのを34年、評論家の木村毅さんが発見する。
なぜ啄木の残した著作物の一切に「老将軍」は出てこないのか。著者は啄木がこの詩をあえて封印したと確信し、「老将軍」前後に作られた「断章」を下に、啄木に降りかかった出来事と思想の変遷を解き明かしていく。
著者は啄木の人生に衝撃を与えた出来事に父一禎の宗費滞納による、宝徳寺(盛岡市渋民)の住職罷免事件を挙げる。村内の熾烈な争いと家族の困窮に耐えかね、07年に一禎は家出。一家は北海道、東京と移り住み、貧窮を極めた。病身の妻節子は母カツとの確執が深まり、娘京子を連れて実家に帰ってしまう。
こうした個人的事情も絡み、「老将軍」の前後で啄木の思想はがらりと変わる。日露戦争開戦時、若き啄木は「露国は我百年の怨敵」と明治ナショナリズムに陶酔していた。ところが戦後、幸徳秋水ら多数の社会主義者が処刑された大逆事件により「国民が団結すれば勝つ、多数は力なり」と革命思想へと傾倒していく。
著者は長野県出身の歌人、教育運動家。太平洋戦争終戦の17歳、北海道の鉱山宿舎の壁に書かれていた啄木の歌に感銘を受けたという。緻密な時代考証と作品への鋭い洞察に、啄木への深い尊敬と執念を感じる。
本の泉社03(5800)8494=1300円。