戦後日本の満洲記憶 佐藤量、菅野智博、湯川真樹江編

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戦後日本の満洲記憶

『戦後日本の満洲記憶』

著者
佐藤量 [編集]/菅野智博 [編集]/湯川真樹江 [編集]
出版社
東方書店
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784497220042
発売日
2020/03/06
価格
5,500円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

戦後日本の満洲記憶 佐藤量、菅野智博、湯川真樹江編

[レビュアー] 吉田裕(一橋大名誉教授)

◆植民地体験忘却の歴史明らかに

 日本人の戦争の記憶は被害者としての記憶が中心で、加害・植民地体験に基づく記憶は曖昧なままである。特に植民地体験の記憶は風化が著しい。本書は敗戦後、日本の事実上の植民地であった満洲から引き揚げてきた日本人の記憶に関する最初の本格的研究である。その意義としては次の点を指摘できるだろう。

 第一には、引揚者(ひきあげしゃ)たちの戦後史に即しながら、また日中国交回復などの時代状況の変化も視野に入れながら、植民地体験が忘却されていくメカニズムを具体的に明らかにしたことである。本書によれば、忘却を促す要因としては、引揚時の悲惨な体験の強烈な印象に加えて、日本が満洲の開発に貢献したという物語や失われた故郷へのノスタルジアが大きな役割を果たしているという。

 第二に、史料面では、満鉄や高等女学校の同窓会誌など、様々(さまざま)な引揚者団体の会報に本格的な分析のメスを入れたことである。著者たちは、時代背景や引揚一世と二世の世代差にも目配りしながら、記憶の変遷を丁寧に読み解いていく。また、団体に加入しない人々の存在、都市部の学歴の高い層への偏りなど、会報の史料的限界についても自覚的だ。

 そして第三には、引揚者たちが記憶を記録するという営みを通じて忘却に抗(あらが)い抵抗してきたことを重視していることである。そこには歴史を美化する危険性が常にはらまれているとはいえ、一人一人の人間の中にある記憶をめぐる葛藤や揺らぎに留意することによって、記憶の持つ多様性や多重性を浮き彫りにしていると言えるだろう。

 満洲の記憶研究が始まったのはここ十年ほどのことだが、本書はその水準を大きく引き上げる内容となっている。なお、評者の問題意識に引き付けていえば、軍学校の戦友会だけでなく、満洲に駐留していた日本軍部隊(最盛時には約八十万人)の戦友会の分析が次の課題となるだろうし、中国の文化大革命が引揚者の中に持ち込んだであろう深い亀裂の問題も忘れてはならない。

(東方書店・5500円)

<佐藤>立命館大大学院、<菅野>中国の中山大、<湯川>台湾の中央研究院で研究。

◆もう1冊 

坂部晶子著『「満洲」経験の社会学 植民地の記憶のかたち』(世界思想社)

中日新聞 東京新聞
2020年5月9日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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