『眠れなくなるほど面白い哲学の話』
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「知らない」を知る。違う意見に耳を傾ける。ソクラテスから学ぶ哲学の基本
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
哲学とは、違う意見に耳を傾けることです。いろいろな人が、いろいろなことを言っています。自分と違う意見に対して、「マニュアルでこう決まっている」「先輩からこう教わってきた」「オレは入社してからずっとこうやっていた」と、つい言ってしまいます。
「ひきこもり」という現象は、物理的に家の中で閉じこもっていることではありません。
「自分の考えと違う意見は一切受け入れない」という精神的な不寛容のことです。 違う意見があっても、「面白いね。そんな考え方もあるんだ。考えたことなかった」と受け入れて、お互いがぶつかり合うのが哲学です。(22ページより)
『眠れなくなるほど面白い哲学の話』(中谷彰宏 著、リベラル社)の著者は、こう主張しています。別な表現を用いるなら、つまりは「哲学に正解はない」ということ。
大切なのは「あんな考え方もある」「こんな考え方もある」と、さまざまな考え方と出会っていくことであり、そんな、自分と違う意見を楽しんでいくことこそが哲学であるというわけです。
そのような考え方に基づく本書は、2500年におよぶ哲学の歴史を振り返るうえで欠かせない偉人たちの考え方を解説したもの。
「哲学に興味はあるけど、難しいと挫折した人」「壁にぶつかっている人」「生まれ変わりたい人」をターゲットにしているのだそうです。
そんな本書のなかから、きょうはソクラテスの2つの考え方を抜き出してみることにしましょう。
「自分はなにも知らない」ということを知ろう
人は進化しているように見えて、あまり変わっていないもの。著者はそう指摘しています。
たとえばいつの時代にも、どこの会社にも、「俺はなんでも知っている」と言う人がいるものです。しかし、そもそも「知っている」とはどういうことなのでしょうか?
問題はその点です。
「知っている」とはどういうことなのかと考えたのがソクラテスです。 「知らない」ということが、「知っている」ということです。
「なんでも知っている」と言う人は、すべてを知っているわけではありません。知らないことに気づいていないだけです。「知らないことはない」と言ってしまっているのです。 知っていることは、ごく一部です。
「知らないこと」をネットでも検索できません。「私の知らないこと」と検索ワードに打っても出てこないのです。(30ページより)
なぜなら、検索するためには、なんらかのワードが必要だから。
著者は、それこそが哲学のおもしろいところだと言います。専門家ほど「知らない」と言うものだとも。
そのことを解説するにあたり、著者は予備校時代の寮にいた野球好きの同級生の話を引き合いに出しています。
彼は常々、「俺はメジャーリーガーのことはほんとに知らないんだよ。日本のプロ野球だけ」と口にしていたというのです。しかし実際には、メジャーリーガーにも詳しかったのだとか。
とはいえ、それは謙遜ではなく、詳しいから「知らない」と言うということ。
たしかに「知っている」と言う人よりも、「知らない」という人のほうが詳しいことが多いものです。
だからこそ、もし定年後に新しい仕事で独立するのであれば、自分の知らない分野を選んだほうが成功するだろうと著者は記しています。
逆にいえば、「自分は○○が得意だ」と口に出すということは、すなわち浅いということになるわけです。
いわば「哲学のことはよく知らない」と言う人のほうが“知っている”ことになるということで、危ないのは「知っていると思う」ということ。
しかも「知っている」と思い込む人は、人の話を聞かなくなるものだといいます。(30ページより)
人のことより、自分について考えよう
少し前に「自分探し」ということばが流行ったことがありましたが、それは決して新しいものではありません。
SNSのない時代から、「他者承認を気にするな」ということはさんざん言われてきたわけです。
人間は、人が集まるようになった時代から他者承認を気にして生きてきました。昔から「いいね!」を欲しがり、「よくないね」を恐れていたのです。「自分が一番興味深い対象である」と言ったのがソクラテスです。
人のことを気にするよりも、自分に興味を持とうということです。他者承認を求めるよりも、もっと自分に関心を持った方がいいのです。自分を好きになることは、自分に関心を持つということです。(33ページより)
たとえば、旅行代理店で「どこへ行きたいですか」と聞かれたとき、逆に「みんなはどこに行くんですか?」と聞き返す人がいたとします。
その場合、こう聞いた時点で自分の「好き」ではなくなっているわけです。
しかし本当は、もっと自分の「好き」にこだわっていいのだと著者は主張しています。それは、勉強にしても同じ。
なぜなら、「なぜかこのジャンルが気になる」とか、「なぜかこの本棚が気になる」ということは、理由のないものでもあるから。
究極の興味は「自分」であり、いちばん楽しいのは自分のなかの宇宙。自分は、なぜこういうものに興味を持つのか。
自分はどこから来て、これからどこへ行くのか。それこそが哲学の究極のテーマだということ。
「自分は誰?」ということです。相手が誰とか、世の中でどういう人がウケるかではありません。「自分は何ができる」でもありません。 「自分は何が好きなのか」です。 (35ページより)
つまり、人間は「自分がどういう人間なのか」について考えることが許されているというわけです。(33ページより)
哲学には難しいと言うイメージがつきものですし、事実、決して簡単ではないはずです。
しかし、そんな哲学を独自の視点でわかりやすく解説している本書は、これから哲学を知りたいという人にとって最適な一冊であるといえそうです。
Photo: 印南敦史
Source: リベラル社