社会運動の〈声〉と〈まなざし〉――社会運動は何を達成し、残された課題は何か?

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社会運動の現在

『社会運動の現在』

著者
長谷川 公一 [編集]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/社会
ISBN
9784641174535
発売日
2020/01/14
価格
3,850円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

社会運動の〈声〉と〈まなざし〉――社会運動は何を達成し、残された課題は何か?

[レビュアー] 長谷川公一(東北大学教授)

社会運動は生きている

「フラワーデモ」と称する興味深いデモが全国47都道府県にひろがっている(第1章22頁参照、 https://www.flowerdemo.org/)。2019年3月に性暴力の加害者に対する無罪判決が4件続いたことに抗議して同年4月11日から始まった。性暴力に対峙する連帯と被害者への共感のシンボルとして、花を持ち寄ることや花柄の服を着てくることを呼びかけ毎月11日開催、「フラワーデモ」と呼んでいる。その発端となった裁判のうち、この2月に福岡高裁で、3月に名古屋高裁で、ともに逆転有罪判決が出た社会的背景には、「フラワーデモ」の全国的な高揚があろう。日本発の社会運動の大きな成功例と言える。
 仙台市で6月からはじまった「フラワーデモ」は、東北大学の社会学研究室のデモ未経験の2年生が、家族の猛反対を押し切って、おっかなびっくりで始めたものだが、彼女の呼びかけを契機に弘前市や盛岡市でも始まっている。
「フラワーデモ」の背景には、#MeToo運動の世界的な高揚がある。社会運動の伝播と見ることもできる。2011年にはアフリカのチュニジアから始まった民主化運動「アラブの春」は、隣国リビアへ、エジプトへと波及、スペインを経て、ニューヨーク・マンハッタンの「ウォール街を占拠せよ運動」へと伝播した。
 トランプ支持勢力のようなナショナリスティックな運動の台頭が社会運動の現代的特質のように見られがちだが、人権や民主主義の擁護を掲げるリベラルな社会運動もときどき火を噴いている。
 社会運動を参与観察していると、社会運動は生き物であり、なまものであると実感しないわけにはいかない。研究者の社会運動論よりも、現実の運動の方がはるかに先を行っている場合が少なくない。
 確かに韓国や台湾、香港、フィリピンなどと比較すると、日本の社会運動の政治的達成は乏しく、資金面・人材・組織的基盤・専門家の関与のいずれをとっても、日本の社会運動の非力を歎くことはたやすいが、ポジティブな側面とネガティブな側面を冷静に腑分けすべきである。
『声とまなざし』(1978年)は、「新しい社会運動」論の提唱者アラン・トゥレーヌの代表作の表題である。社会運動は客観的に存在するというよりも、研究者が発掘し意味付与するものだとして、トゥレーヌは社会学者の〈まなざし〉の意義を強調した。日本の社会運動研究者は海外の社会運動論の紹介には熱心だが、日本の社会運動の現場との対峙をとおして理論的なまなざしを彫琢することには残念ながら、必ずしも熱心だったとは言えない。
 私自身は、現場に通い現実を見つめることと理論的なまなざしとの往還を重視してきた。現場をひろく深く掘り下げるためには、理論的な問題意識は不可欠である。社会的現実のどのような側面に光をあてるのか、理論的な視角が文字どおり観察者のまなざしを規定している。他方理論的な視角を所与のものとして、固定的・機械的に現実に適用しようとするような態度も慎まなければならない。
 本書は、各章で中心的に取りあげたそれぞれの例示的実践に、社会学者がどのように耳を傾け、見つめ、考察したのか、という現場の〈声〉からの学びの記録であるとも言える。閉塞状況を掘り崩す潜勢力をもった創造的な営為を見出し、適切に意味づける社会学的〈まなざし〉と感性が求められている。
 社会運動に関するテキスト的な書籍は日本では残念ながらきわめて少ない。とくに現代日本の社会運動の全体像を理論的な視角から展望する書籍が求められている、という思いを長年抱いてきた。『社会運動論の現在』ではなくて、『社会運動の現在』こそが必要だという確信である。
 市民社会と社会運動との相互作用、運動目標や運動スタイルなどの社会運動の多様化に注目し、各章共通に(1)研究対象とするある社会運動が市民社会や地域社会のどのような動きを背景に登場し発展してきたのか、(2)当該の社会運動が市民社会や地域社会をどのように活性化させ得たのか、(3)当該の社会運動がどのような政策的応答を引き出し得たのか(得られなかったのか)、(4)当該の社会運動の現状および今後の課題は何かを、具体的な事例に即しつつ、しかも事例を超えて一般化できるように考察をひろげられるような本が編集できないか、というのが、本書刊行のモティーフである。その目標がどれぐらい達成できたかは、読者の審判を待ちたい。

争点と担い手の多様化・細分化

 社会運動と言えば、かつては農民運動や労働運動のような生産点の運動もしくは選挙権の獲得や革命を企図した政治運動だった。1960年代以降の社会運動の大きな特質は争点と担い手の多様化と細分化である。社会問題あるところに、容易に社会運動が顕在化しうるのが現代である。一書としての紙数の限界もあって、本書では15の運動を取りあげ、「環境とくらし」「グローバル化とアイデンティティ」「自己実現と社会変革」の3部に編成した。環境教育運動、脱ダム・地域再生運動、里山保全運動、反原発運動、有機農業運動、基地騒音反対運動(以上を「Ⅰ 環境とくらし」で扱う)、エスニシティにかかわる「被害の記憶」、ヘイトスピーチ、途上国をキーワードとする運動(以上を「Ⅱ グローバル化とアイデンティティ」で扱う)、学生運動、貧困、ジェンダー、障害者、地域保健、/AIDS(以上を「Ⅲ 自己実現と社会変革」で扱う)とトピックスは多岐にわたっている。
 自由・平等・博愛のような大きな抽象的な理念を掲げた大文字の社会運動はますます語りにくくなり、争点ごとに、行為者のアイデンティティごとに、運動は細分化しつつある。例えば、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる運動も、近年は同性愛者など、当事者の〈声〉の多様性に照応して、さまざまなタイプの性的少数者の権利獲得運動などに分岐し、細分化が著しい。その意味で、社会運動は内部的な緊張をはらんでいる。
 第2に、社会運動の多様化にともなって、社会運動と他の集合行為、圧力団体・利益団体などの他の組織的な活動、選挙運動・議会への請願・住民投票などの制度的な活動との境界が一層曖昧化しつつある。
 例えばNGOやNPOは社会運動なのか。一概には言えない。環境団体のように、価値や理念、運動目標の社会的アピールを重視するアドボカシー志向型のNGO/NPOは社会運動的性格が強いが、福祉NPOのようなサービス提供型のNGO/NPOはプロテスト的な性格や変革志向性は弱く、社会運動的性格が希薄であることが多い。
 テロリズムを、社会運動的なものと見るかどうかも、難題である。
 今年はアメリカ大統領選挙の年だが、選挙運動には、民主党側でも、共和党側でも、それぞれ大量の資金が投じられ、資源の動員力が決め手であり、社会運動的である。
 集合行為であることは社会運動の大前提だが、グレタ・トゥーンべリさんによる気候変動ストライキの初発段階のように、SNSの時代においては、たった一人で効果的に抗議することも不可能ではない。
 2019年8月20日に始まったこの抗議行動は反響が大きく、7ヶ月後の2019年3月15日には世界125ヶ国の2000以上の都市で、若者を中心に140万人以上が参加するまでに拡大した。国連気候行動サミット前後の9月20日から27日までの8日間で185ヶ国で760万人以上が参加した。つまり世界中のほとんどの国々で、これだけの数の若者らが自発的に街頭でのデモに参加するに至ったのである。イッシューや分野を問わず、世界で過去最大規模の集合行為となった。グレタさんの呼びかけ以前、気候変動に関して最大だったのは、2014年9月国連の特別総会直前に開かれたニューヨークでの約40万人が参加したデモだった。
 本稿執筆段階(2020年3月15日)で、新型コロナウイルスが猛威をふるっているために、世界各地で、大規模な集会は禁止または自粛を強いられている。新型コロナウイルス騒ぎの沈静化まで、2020年の気候抗議行動も自粛を強いられている。

〈例示的実践〉としての社会運動

 社会運動はしばしば〈例示的実践〉とされる。社会運動の現在は、社会変革をめぐる〈例示的実践〉の現在であると言い換えることもできる。社会運動は相対的に少数者による運動であることが多いが、参加者の絶対数というだけでなく、運動目標や理念・価値、波及効果、政策的インパクトなどに示される、社会運動の質的側面こそが重要である。
 社会運動の新たな現実や新たな局面は、しばしば理論的前提の反省や抜本的な修正、微修正を求めてきた。
 1960年代の公民権運動、学生運動、ベトナム反戦運動の現実が、アメリカでは資源動員論の提唱をもたらした。1968年の「五月革命」を頂点とする学生運動などが、ヨーロッパでは「新しい社会運動」論を生み出した。さらにアメリカでは、1970年のアースデー運動を頂点とする、1960年代後半から70年代半ばまでの環境運動が、70年代後半に環境社会学が提唱される母体となった。フェミニズム運動や障害者運動、エスニシティや医療をめぐる運動の進展も、それぞれの分野で、社会学的な〈まなざし〉の根本的な革新を迫ってきた。
 社会運動は、市民社会の〈声〉であり、社会問題のすぐれた社会的表現であるとともに、社会変革の原動力でもあり続けてきた。現実の「社会主義諸国」のように、社会運動が抑圧されてきた社会は、市民社会を抑圧してきた社会でもある。
 社会運動には、自己変革と社会変革、自己表出と目標達成、予示的志向性と戦略的志向性、ローカルとグローバル、ビジョンと実践、等々のダイナミズムが集約されている。ときに鋭く相克し、ときにゆたかに共鳴しあう。社会運動は、無名性に支えられた、絶えざる未完成(unfinished)な創造的営為である。
 本書の各章の味読をとおして、読者は、それぞれの運動の歴史的蓄積と経緯があったうえで、今日の各運動の現状と課題があることが理解できよう。地域の環境やくらしの理解に、環境問題の改善に、運動文化の継承に、エスニック・マイノリティや女性の地位向上に、生活困窮者や障害者の自立に、薬害被害者の救済に、途上国を含む国の内外で、社会運動は地味ながらも、着実に大きな役割をはたしてきたということも得心できよう。私たちはそこに市民社会の〈声〉を聴き、共感と連帯の〈まなざし〉を、困難な状況の中でのさまざまな創造的実践を見ることができる。
 ヘイトスピーチのように、トランプ支持勢力の台頭に見られるように、分断を煽る対抗運動や排外的な運動も勢いを増してはいるが、それを乗りこえようとする運動も絶えず生まれている。

有斐閣 書斎の窓
2020年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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