組織の問題はどのようなメカニズムで発生するのか、問題解決のために組織をどう設計すればよいのか……理論「だから」わかる!

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組織の経済学

『組織の経済学』

著者
伊藤 秀史 [著]/小林 創 [著]/宮原 泰之 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165502
発売日
2019/12/25
価格
3,520円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

組織の問題はどのようなメカニズムで発生するのか、問題解決のために組織をどう設計すればよいのか……理論「だから」わかる!

[レビュアー] 玉田康成(慶應義塾大学教授)

組織が直面する問題

 私見にすぎませんが、物語の悪役として「組織」が登場することがよくあります。1つのパターンは、社会に害をなす巨大な陰謀をたくらむ「悪の組織」です。悪の組織は大がかりな、文字通り組織的犯罪を実行し恐怖をもたらします(もっとも、ジェームズ・ボンドのような英雄によって壊滅させられますが)。もう1つのパターンは、企業や警察などの組織に属する個人が、いわゆる組織の論理やしがらみと対立・葛藤する姿を描いたものです。組織からは浮いている主人公が、上司や同僚に苦い顔をされ、ときには足を引っ張られながらも活躍する様子が典型的でしょう。『踊る大捜査線』などを思い浮かべればよいかもしれません。
 これらから次の2つの事実を確認できます。1つは、「組織は個人ではなしえない大きな目的を達成できる」こと、もう1つは、「組織の中ではしばしば対立関係が生じる」ことです。組織は個人とは異なるレベルの力を持ち、そして、組織の中の対立関係はもしかすると一部の個人を阻害してしまいます。だからこそ組織は個人の前に立ちはだかる壁として、物語の悪役にもなってしまうのでしょう。村上春樹がシステムに対峙する弱い個人を壁にぶつかって潰れてしまう卵にたとえましたが、システムを組織と読み替えてもさほど違和感はありません。
 けれども、現実の組織は決して悪役ではありません。企業や大学などたいていの組織は社会に貢献する「善の組織」で、個人ではなしえない大きなプラスの価値を実現しています。また実際には、組織は内部の個人のインセンティブを組織に沿わせ、対立関係を解消する工夫を施しているはずで、そうでなければ組織としての目的を実現できません。組織にとって重要なのは「組織を構成する個人のインセンティブを調整・制御し、組織の性能をいかにして高めるか」ということです。現実社会の善の組織が役割を最大限に果たすためには、この問いを真剣に考える必要があります。

組織の経済学とは

 本書『組織の経済学』は組織が直面する諸問題を、企業組織を想定して経済学の手法を応用して分析・解説する教科書です。教科書とはいっても、日本語はもちろん英語でも類書は限られており、読者は新しい知見から刺激と楽しさを十分に得られることを約束します。組織にまつわる分かりやすく普遍的な問題をピックアップ、理論分析により正確に解説し、各所に現実の具体的事例をちりばめて理論分析の帰結と対応させていくというスタイルは、応用的なトピックを扱う経済学書の手本ともなる出来映えです。契約理論やゲーム理論に多くの優れた業績がある三人の著者の手腕が光っています。
 経済学は主に「市場取引」を研究する学問です。標準的なミクロ経済学の教科書は、資源配分の仕組みとしての市場の性能と限界の説明に大部分のページを費やしており、企業組織の中身やマネジメントにはほとんど触れられません。企業の市場での意思決定は解説されますが、その描写方法はインプットを入れればアウトプットが出てくる生産技術です。企業組織の中身はこれまでブラック・ボックスとして扱われてきました。
 けれども、現実の経済では、企業組織の中で行われる取引は、市場取引と同等以上のボリュームがあり、企業組織そのものが市場とは異なる資源配分の仕組みとして成立しています。実際、大企業ともなれば数千数万の従業員がおり、それぞれ固有のマネジメントにしたがって内部で取引が行われています。すると、本書から引用すると、「企業のブラック・ボックスを開けて、内部組織のさまざまな特徴・機能を明らかにすること」、そして「企業と市場を異なる資源配分の仕組み・制度と位置づけて比較分析を行い、その境界を明らかにすること」、の二つが重要な課題として浮かび上がり、それらが組織の経済学の目的です。

本書で語られること

 本書では、2つめの課題は序章の役割も兼ねる第1章のみで議論されます。分量は限られていますが、ロナルド・コースに端を発するこの重要な課題に対し、コラムで紹介される(コースも含めて)5人のノーベル経済学賞受賞者の業績を踏まえながら、濃密で整理された解説が提供されています。
 1つめの課題は、上記の「組織を構成する個人のインセンティブを調整・制御し、組織の性能をいかにして高めるか」という問いに答えるための課題です。本書は三部構成になっており、組織の問題を整理する役割を持つ(第1章も含める)第Ⅰ部では、「組織におけるジレンマ」(第2章)、「コーディネーション問題」(第3章)、「信頼の形成」(第4章)の3つが組織の根源的問題として解説されます。根源的だからこそ問題の所在は普遍的で分かりやすく、第Ⅱ部以降で解説されるトピックの材料ともなっています。また、初学者でも理解できるゲーム理論をもちいた分析が行われていることも見逃せません。読者は組織の問題を通じてゲーム理論をも学ぶことができます。
 組織が直面する問題の解決法を議論する第Ⅱ部では、「組織設計とプリンシパル=エージェント関係」(第5、6章)、「長期的関係」(第7章)、「関係的契約」(第8章)、「戦略的情報伝達」(第9章)が議論されます。経営陣と従業員のあいだや従業員同士で利害の不一致や対立関係が生じると企業組織はうまく立ちゆきません。第Ⅱ部では、いかにして従業員の適切な行動、従業員同士のコーディネーションや協力関係、そして組織の中での適切な情報の伝達を引き出せるのか、契約理論やゲーム理論を応用した数理モデルを駆使して組織の問題の解決法に鋭く切り込んでいきます。とくに、組織の分析との相性が優れる関係的契約の理論が教科書で詳細に解説されることは初めてでしょう。
 組織の違いが生じる理由を説明する第Ⅲ部では、「意思決定プロセスと集権化・分権化」(第10章)、「企業文化」(第11章)、「リーダーシップ」(第12章)が議論されます。これらの複雑にも見える問題を経済学の数理モデルで明快に分析ができること、経済学の応用範囲の広さを実感できるでしょう。社会に出て行く学部生たちから企業文化やリーダーシップを研究したいという相談を受けることが少なくありませんが、専門性が高いこともありいつも難儀していました。これからは、まず本書を紹介すれば十分で、随分と助けられます。

組織に関心があるすべての人が読むべき良書

 本書の帯にある「理論だからこそ組織がわかる」というコピーに深く共感しています。昨今、経済学では理論分析の地位が相対的に下がっており少し肩身が狭くなってきています。けれども、本書は現実的で具体的な問題を抽象化し、数理モデルを駆使して分析することで、背後に潜む構造を理解していこうという、理論分析の性能の高さと射程の広さを実感させてくれます。 また、本書は理論分析の説明力の高さを示すためにも、企業組織にまつわる事例を数多く紹介しており、読者の理解を補強してくれます。さらには、理論分析を相対化するために、コラムでは実証や経済実験の研究が新しいものまで紹介されており、本書を豊かなものにしています。それでも、理論分析を踏まえた構造やロジックを理解してはじめて、それらを正しく評価することができることは間違いありません。組織の経済学はまず理論分析の理解からスタートするべきであり、そのためにまず本書を手に取るべきです。
 本書の著者と同じく数理的な研究を専門とする経済学者が著した組織の経済学の書籍として、ケネス・アローの講演集『組織の限界』(ちくま学芸文庫、2017年)とポール・ミルグラム=ジョン・ロバーツの大著『組織の経済学』(NTT出版、1997年)の2冊をあげることができます。そしていま、それらに比肩する名著として本書が加わりました。
 アローは1970年代初めに行われたこの講演の中で、組織を市場とは異なる取引の仕組みとみなし、コミュニケーションと情報チャネル、コーディネーションなどの問題を指摘しています。本書でもアローの引用がありますが、根源的問題の一つとされた「信頼」をアローが重要な論点にあげていることは見逃せません。また、アローはゲーム理論が組織の中の利害対立を分析するツールとしてまだ十分ではないと記述していますが、50年を経て、その言葉は妥当しなくなったことが本書から分かります。
 アローの講演は本人も述べているように経済学の研究プランとも呼べるものでしたが、それを実践した一つの到達点が、ミルグラム=ロバーツの著作です。1992年に出版された同書は、当時の最先端だった契約理論、エージェンシー理論、情報とインセンティブの理論をふんだんに応用し、現実的な問題意識と経済理論をミックスすることで企業組織の内部について鋭く分析しています。
 同書が出版されたのは、ちょうど大学院に進学した頃でした。現実の企業が直面する諸問題をトピックごとに軸としておき、経済理論を応用して説き明かすスタイルは刺激的でしたが、難解さに悪戦苦闘したこともよく覚えています。本書でも指摘しているように、同書は実際の企業組織に関する具体的な知識があることを前提としており、細かい論点を網羅的に論じていることがその理由です。また、さまざまな経済理論がトピックごとに八面六臂の活躍をしますが、ついて行くことは簡単ではありません。
 本書は整理された根源的な問題をシンプルな数理モデルで議論することからスタートすることで読者の理解を深めます。章が進むと専門性と難易度は上がっていきますが、それでも数理モデルでの分析が可能となるように問題を整理したうえで解説を進めていくスタイルは一貫しています。本書を通じて、組織にまつわる問題の本質や構造・ロジックの正確な理解が可能となり、普遍的で陳腐化しない知見を読者は得られます。学生に限らず、万人が読むべき画期的な良書であることは間違いありません。
 本書にはゲーム理論や契約理論といった経済学の標準的な分析ツールの素晴らしい入門書という側面もあります。組織にまつわる分かりやすく面白いトピックにまず読者は関心を惹かれるでしょうが、読み進めるとゲーム理論や契約理論の分析ツールとしての性能の高さを実感するはずです。より高度な理解を求める読者はそれらの教科書や専門書を手に取るでしょう。それがまた、組織の経済学のより深い理解を可能とするのです。
 最後に、そのような読者に手にとって欲しい書籍を紹介させてください。それは私が大阪大学の石田潤一郎氏と著した『情報とインセンティブの経済学』(有斐閣ストゥディア、近刊)です。同書は情報とインセンティブにまつわる経済理論として契約理論を中心に解説しており、『組織の経済学』の第1、5、6、9章に登場する数理モデルの教科書です。『情報とインセンティブの経済学』は、具体例や言葉による分かりやすい解説と数理モデルを併用することで、初学者でもある程度のレベルまで契約理論が理解できるように工夫しており、『組織の経済学』とは補完的な役割を果たします。また、契約理論というツールが企業組織だけではなく、現実経済の多くの場面で応用可能なこと。また問題の背後に共通する構造の理解が可能となります。

有斐閣 書斎の窓
2020年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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