工場経営者の娘だった私が、同僚を見返すためにトラックドライバーになった話

インタビュー

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トラックドライバーにも言わせて

『トラックドライバーにも言わせて』

著者
橋本 愛喜 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
産業/交通・通信
ISBN
9784106108549
発売日
2020/03/14
価格
836円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

【独自取材】『トラックドライバーにも言わせて』著者・橋本愛喜氏インタビュー(前編)「運転席に座ってみて初めて分かることをお伝えしたい」

[文] 藤原秀行(ロジビズ・オンライン編集長)


トラックに乗っていたころの著者(新潮新書『トラックドライバーにも言わせて』より)

トラックが私に厳しい時間から解放する機会を与えてくれた

――ドライバーを10年続けられた中で仕事の負荷に変化はありましたか。

「トラックに対しては最初のインパクトがすごかったので、しんどい、という環境がずっと10年続いてしまった感じですね」

――そんなにきつかったのですか?

「そうですね。ただ、私は工場の中の業務が一番つらかったので、トラックドライバーは工場の外に出られる唯一の手段だったんです。1人になって頭をちょっと整理したい、考えたいと思った時にトラックを運転していると、真っ直ぐな高速道路と、時々路面の段差でがたんと振動するリズムが脳をシャッフルしてくれるので、すごく思考が最適化するような感じになりました。工場の仕事は本当に苦しかった。あのドライバーとしての時間がなかったら恐らく私自身はつぶれてしまっていたでしょう。無駄だと思っていましたが、今から振り返れば、トラックが私に厳しい時間から解放する機会を提供してくれた。そういう意味でも私はトラックに助けられたと思いますね」

――ライターや日本語教師の仕事と並行してドライバーをされていたのですか?

「1日の睡眠時間が2時間ほどしか取れず、本当に大変な生活でした。居眠り運転にならないよう、コーヒーを飲むなどいろいろな工夫をしていました。まさに分刻みで動いていたんです」

――どうしてそんな過酷な状況で働かれたのですか。

「工場にいれば名前ではなく『(社長の)娘さん』と呼ばれ、どうしても職人さんたちとの間に壁がありましたし、両親は私を経営者として見るようになったので家にいてもずっと仕事の話で、落ち着いて過ごせる居場所がなかった。日本語教室には多い時で20カ国語くらい言語が異なる学生がいたので、共通語が日本語でした。そこではどんな下手なギャグを言ってもめちゃくちゃ受けたんですよ(笑)。とても楽しかった。私がずっと憧れてきたニューヨークのような多様性があり、居心地の良さに工場が忙しくてもやめるにやめられなくなりました。教室には大きな日本地図があり、私はトラックで関東から大阪まで乗りますと説明したら、学生から『オーマイゴッド!』『マンマ・ミーア!』のような世界中の感嘆詞が飛び交うような、ものすごく面白い世界でした」

「ライターの仕事に関しては、小さいころから文章を書くことが好きで、学校の作文コンテストで優勝したこともありました。ニューヨークに1年間滞在していた時、日本のテレビ局の米国総局の記者やアナウンサー、カメラマンの方々と仕事で触れる機会があり、ジャーナリズムに触発されました。私は絶対に記事を書きたい!と思うようになったんです」

――本書以外にも、さまざまな媒体でトラックドライバーの仕事の実態などを精力的に執筆されていますね。ニューヨークの体験を通して記事を書きたいと思われてから、実際にドライバーの話を書くようになった経緯は?

「日本に戻って初めてのライターの仕事が東日本大震災の取材でした。被災地に行き、いろんな人たちの話を聞く中で、ああやはり、私は現場をきちんと取材し、人をベースにした記事を書きたい、と強く思うようになりました。そうした背景が、私が直接、接してきた人も含めてトラックドライバーさんの第一線で働いている方々のお話をまとめられたらいいな、という思いにつながっているんじゃないかと思います。こんなに面白いネタは他にないだろうとずっと心の中に感じていましたから」

――本書でも、どのエピソードを入れようか、みたいな葛藤があったのでは?

「ありました! 泣く泣く割愛した話もいっぱいありましたよ。ただ、版元の新潮社の皆さんがえりすぐりのネタをピックアップしてくださったので、すごく素敵な本になったのはうれしいですね」

ロジビズ・オンライン
2020年4月28日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

ライノス・パブリケーションズ

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