柚月裕子『虎狼の血』シリーズ続編、待望の文庫化! 警察とヤクザ、それぞれが貫く「仁義」とは?『凶犬の眼』

レビュー

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凶犬の眼

『凶犬の眼』

著者
柚月裕子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041088968
発売日
2020/03/24
価格
858円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

柚月裕子『孤狼の血』シリーズ続編、待望の文庫化! 警察とヤクザ、それぞれが貫く「仁義」とは?『凶犬の眼』

[レビュアー] 吉田大助(ライター)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(評者:吉田大助 / 書評家)

 今や出す本はみなベストセラーランキング入りし安心確実のブランド力を誇る柚月裕子が、二〇〇九年のデビューから始まる助走期間を経て、本格的ブレイクを果たしたのは二〇一五年八月に単行本刊行された『孤狼の血』だった。

 それまでは、「人間ドラマを重視したミステリー作家」という印象が強かった。しかし、『孤狼の血』により「同性も惚れる男のかっこよさを書かせたら天下一」という二つ名を獲得することとなる。もちろん、「人間ドラマを重視したミステリー作家」としても優れた仕事をしたことは、同作が第六九回日本推理作家協会賞(長編及び連作短編集部門)を受賞した事実から明らかだろう。

シリーズ第一作『孤狼の血』
シリーズ第一作『孤狼の血』

 舞台は昭和六三年の広島、架空都市の呉原。所轄に赴任した新米刑事の日岡秀一は、マル暴のベテラン刑事・大上章吾とタッグを組んで、ヤクザ絡みの失踪事件の捜査に乗り出す。その過程で目の当たりにしたのは、ヤクザ以上にヤクザな大上の「悪徳刑事」としての顔だった──。

 二〇一八年五月に劇場公開された同名実写映画も、圧巻の出来栄えだ。製作は、昭和を代表するヤクザ映画『仁義なき戦い』シリーズを手掛けた、東映。コンプライアンス、コンプライアンスとうるさいご時世と知りながら、よくぞ手を挙げ、よくぞ世に送り出した。白石和彌監督らしい血みどろ展開の娯楽性に加え、「二時間強で完結する物語」としての改変も実に的確。結果、第四二回日本アカデミー賞において優秀賞最多一二部門を受賞し、主演男優賞(役所広司)と助演男優賞(松坂桃李)を始め最優秀賞も四部門で受賞した。

 いよいよ本題だ。二〇一八年三月に単行本刊行されこのほど文庫化された本書『凶犬の眼』は、『孤狼の血』の続編に当たる。

シリーズ第二作『凶犬の眼』
シリーズ第二作『凶犬の眼』

 喧騒に満ちた灼熱の広島から、音もない極寒の北海道へ。プロローグのわずか七ページで、前作からがらっと空気が変わり、真新しい物語が始まることを予感させる。一章が始まるやいなや、さらに空気は変わる。まず目に飛び込んでくるのは、〈「週刊芸能」平成二年五月十七日号記事〉という文字だ。……平成二年? 次いで、前作を読んでいるならば忘れることなどできない人物の名が、実体を伴って現れる。日岡秀一。「小料理や 志乃」の晶子。不在の大上の思い出を軸に進む二人の会話と回想から、前作から二年あまりが経過していると知らされる。

 冒頭の印象をひとことで言うならば、「動から静へ」。意外性に満ちた幕開けに、くらくらする感覚を抱いた人も少なくないのではないか。ただ、この展開は『孤狼の血』のラストで予告されていたとも言える。エピローグ突入直前、本編の後日談を伝える略年表が見開きで登場していた。その中の一項目が、〈平成元年 四月五日 日岡秀一巡査、比場郡城山町中津郷地区駐在所に転属〉。二年前の事件の余波で、日岡は「左遷」させられたのだ。

 物語の序盤は、都会の刑事から、ド田舎の駐在さん(=駐在所に住み込みで働くおまわりさん)へと転身した日岡の、鬱々とした心情が記録される。仕事といえば、バイクを繰って地域をパトロールし、住民のたわいない愚痴を聞くぐらい。転属後に流れたのは〈無為に等しい時間〉であり、〈この一年ちょっとのあいだに、使命感も熱い思いも薄れてしまっていた〉。地形的にも〈どん詰まり〉にある、田舎ならではの閉塞感の描写が卓抜だ。

 鬱屈した日岡の前に、超大物ヤクザが現れる。史上最悪の暴力団抗争・明心戦争の〈抗争終結の鍵を握る人物〉と目されており、日本最大の暴力団組織の組長殺害に関与したとして全国指名手配中の、国光寛郎だ。一度目の出会いは偶然だったが、二度目の邂逅は、国光からのアプローチだった。

「あんたが思っとるとおり、わしは国光です。指名手配くろうとる、国光寛郎です」

「わしゃァ、まだやることが残っとる身じゃ。じゃが、目処がついたら、必ずあんたに手錠を嵌めてもらう。約束するわい」

 必ず逮捕されるから、捕まえるまでの猶予がほしい。そんな提案、かつての日岡であれば一蹴していただろう。なにしろ日岡は呉原東署の新人刑事時代に、県警上層部の人間から〈愚直なまでに強い、正義感が必要なんだ。お前しかいない〉(『孤狼の血』より)という理由で、ある特命を受けた経歴の持ち主なのだ。しかし、大上という「師」から警察学校では絶対教えてもらえないことを学び、その「血」を受け継いだ自覚のある日岡は、国光に詳しい事情を問いただしたうえで、異例の提案を受け入れる。

 前作のストーリーテリングは、爆発の火花が、次の爆発の導火線に火をつける「春節の爆竹」状態だったが、今作は「時限爆弾」形式だ。〈必ずあんたに手錠を嵌めてもらう〉。日岡が国光と交わした約束はいつ、どのような形で果たされるのか? また、前作は「広島抗争」が題材となっていたが、今作では史上最大の暴力団抗争と言われる「山一抗争」が題材に選ばれている。しかし日岡は今作において、広島の〈どん詰まり〉の集落にいる。集落の外ではヤクザ同士の抗争が活発化しているものの、集落の中ではひたすらのどかな時間が流れているのだ。そうしたコントラストが、日岡の焦燥をさらに搔き立てる。ジリジリする彼の内面にひたすらフォーカスを当てながら、時限爆弾が炸裂する瞬間を、今か今かと待ち望みながら読者もページをめくることとなる。

 前作と今作の違いに気づけば気づくほど、前作から今作へと受け継がれているものの存在が際立って見えてくる。前作では大上の言動を通して、今作では国光の言動を通して現れる、「正義」の感触だ。それは大上との出会いによって日岡の中に芽吹き、国光との出会いによって花開いた。

 だが、「正義」という言葉ほど、大上と国光に似合わないものはない。日岡の心には何度も浮かび上がってくる言葉だが、国光はその言葉を一度たりとも口にしないし、『孤狼の血』で大上は〈大上さんの正義って、なんですか〉という日岡の問いに対し、〈わしの正義かァ……そんなもん、ありゃァせんよ〉と答えている。

 大上と国光の中に、「正義」の価値観がないわけではない。むしろ、確固たるものとしてある。ただ、自分の中に確固としてあるものが世間一般に「正しい」とされる尺度とは異なる、もっと言えば「正しくない正義」であることを認識しているからこそ、彼らはその一語から距離を取るのだ。「正しくない正義」は、別の言葉で表すことができる。その言葉は、『凶犬の眼』の最終盤において、意外なことに、本シリーズで初めて登場する。「仁義」だ。

〈抗争になれば、個人的恨みがなくても、先頭に立って相手方の命を殺る。/しかし、亡くなった人の冥福は祈る〉。この矛盾に象徴されるヤクザのロジック──「筋」──を、『凶犬の眼』の日岡は受け入れる。しかしもともと、『孤狼の血』のラストで日岡は、こんなふうに思考を巡らせていた。〈法律は私刑を許さない。(中略)しかし一方で、犯した罪はまっとうに償うべき、という考えも、日岡のなかにあった〉。大上との出会いによって日岡の中に芽吹き、国光との出会いによって花開いた……と先ほど記したのは、それが理由だ。つまり、二作をかけて描かれたのは、日岡が「仁義」の意味を腹の底から理解し、血肉化していくプロセスだった。

 そう考えた時に、一人の人物が、日岡と肩を並べていることに気づく。柚月裕子が二〇一〇年から書き継いできた〈佐方貞人〉シリーズの主人公である、検事(のちに弁護士)の佐方貞人だ。佐方の口癖は、「罪はまっとうに裁かれなければならない」。そのためならば、法の番人であり正義の担い手である、検察のメンツをぶっ潰したって構わない。二〇一九年四月に単行本刊行された最新第四作のタイトルは、佐方の人生観を最もよく表している。『検事の信義』だ。

 仁義と正義は、『凶犬の眼』の文章を引用するならば〈一文字違うだけで、意味合いは大きく異なる〉。しかし、仁義と信義は、使われる文脈は異なるものの、意味合いは大きく重なる。世間一般にとって、あるいは自分以外の人間にとっては「正しくない」かもしれないが、自分にとっては「正しい」と思うこと。それを、貫くこと。そこで、起こること。日岡秀一と佐方貞人は……いや、もしかしたら柚月裕子作品の主人公たちはみな、己の命を燃やしてその有り様を見せようとしているのではないか。

 それは、苛烈な人生だ。常人では敵わない、超人的な意志の強さが必要になってくる。マネなんてできないし、マネしないほうがいい。しかし、人間の不思議な習性として、マネできないような超人の言動を目の当たりにすると、ほんの一部でもいいから自分にもできることはないかと探り始めるのだ。イチローのプレーを見て、野球を始めるようなものだ。イチローに匹敵しようなんてさらさら思っていないが、美技を前に、心と体がどうしようもなく動くのだ。藤井聡太が快進撃というニュースを聞くと指したこともない将棋を指したくなり、いい小説を読むと何か文章が書きたくなるのも、同じ作用だ。

 では、一般的に「正しくない」かもしれないが、自分にとっては「正しい」と思うことを貫く超人を前にして、常人は何を思うのか。自分にとって「正しい」と思うことを貫くのは無理かもしれないけれども、一般的に「正しい」と言われていることは本当に「正しい」のかどうか、疑えるようになる。それぐらいならばもしかしたら自分もできるかもしれない、と心が動き出す。

 ネットを中心に「正義」の大氾濫が起きている今、柚月裕子の小説が読まれるべき理由は、ここにある。

シリーズ第三作『暴虎の牙』
シリーズ第三作『暴虎の牙』

 さて、本文庫の刊行からほどなくして、シリーズ第三作『暴虎の牙』がついに単行本刊行される。作者が早い段階で公言していた「三部作」の、完結巻だ。一足先に原稿を読ませていただいたのだが、さすがに内容は匂わせる程度にとどめておくべきだろう。一点だけ感動を記させてもらうならば、シリーズの発明的な「続け方」についてだ。『孤狼の血』から『凶犬の眼』は、時間軸が前へと進む意味でもシンプルに「1→2」だった。そこへ『暴虎の牙』が加わった時、まったく違う式が現れた。「1+2=3」。

 その意味するところは、実際に『暴虎の牙』を手にとって確かめてほしい。その意味をしかと味わうためにも、『孤狼の血』、『凶犬の眼』と読み継いでいってほしい。

▼柚月裕子『凶犬の眼』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321908000080/

>>「孤狼の血」シリーズ特設サイト

KADOKAWA カドブン
2020年5月17日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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