源氏物語 上・中・下 角田光代訳 河出書房新社

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  • 源氏物語 下 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集06)

書籍情報:openBD

源氏物語 上・中・下 角田光代訳 河出書房新社

[レビュアー] 飯間浩明(国語辞典編纂者)

 現代小説を好む、ごく普通の読者が抵抗なく読める。そんな「源氏物語」が誕生しました。この快事を祝い、訳者の偉業をたたえます。

 個人的な話ですが、評者が「源氏」をある作家の現代語訳で初めて読んだのは中学1年生の時でした。耳慣れない宮廷用語の洪水、念入りな敬語表現、息苦しいほど長い一文……。「須磨」の手前で挫折しました。大学生になって原文で通読し、「慣れれば原文のほうがよほどいい」などと生意気な感想を持ったものです。

 新しい「角田源氏」は、普通の読みやすい現代語で書かれています。「●(ゆする)坏(つき)、掻上(かかげ)の箱」のような耳慣れない用語は「洗髪の道具、髪上げの道具」と置き換えられます。現代の文章では奇異でさえある地の文の敬語は省略され、代わりに「桐壺(きりつぼ)は」「光君(ひかるきみ)は」のように主語が具体的に補われます。そして、長い文は適切な部分で短く分けられ、現在形が多用されます。(●は「さんずい」に「甘」)

 与謝野晶子以来、文学者による「源氏」の現代語訳は、文字数が少しずつ長くなる傾向がありました。原文の妙味を訳出しようという意図がうかがえますが、もともと長い文章が、箇所によっては2倍近くに伸びることもありました。「角田源氏」は、評者が3か所の文章を調べた結果では、文字数が極力抑えられ、最も簡潔な「与謝野源氏」と同等の水準でした。

 このように配慮された訳文によって、読者は文章に邪魔されず、物語の内容に没入することができます。若い光君の自制なき恋愛ゲーム、初老の彼に降りかかる皮肉な運命、そして、宇治を舞台にした男女の悲劇的なすれ違い。それぞれの場面が、HDリマスターされた古い映画を見るように、新鮮に迫ってきます。

 登場人物もリアルです。光君はエゴイスティックな不幸製造者として、薫は罪深いまでの優柔不断人間として、目の前に立ち現れます。角田光代によって、「源氏」は現代小説として読むことができるようになりました。

読売新聞
2020年5月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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