『武商諜人』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
[本の森 歴史・時代]『武商諜人』
[レビュアー] 田口幹人(書店人)
読み終えてから約20年が経過しても、なお読書中の心拍数の上がる状態や、読了後の抑えられない興奮を覚えている作品がいくつかある。
応仁の乱後、剣士として生きようとした足利義輝の生涯を描いた宮本昌孝氏『剣豪将軍義輝』(徳間書店)がそのひとつだ。
剣聖・塚原卜伝に指導を仰ぐため鹿島に向かった足利義輝が、思い描く剣の道を究めることができるのかが描かれているのだが、お飾りとしての将軍ではなく、己の道を自身の足で歩き切ることを覚悟した義輝に、男の生き様の潔さを感じ、徹夜で読み続けたことを覚えている。
その後も、氏は戦国武将たちの覇権争いを描いた軍記小説の臨場感と、道を究めし者が己れの内面と向き合う剣豪小説の精神を融合させた、独特の切り口と大きなスケールの娯楽時代小説を書き続けてきた。
『武商諜人』(中公文庫)は、単行本未収録の9つの短編と書下ろしの短編1編を加えた文庫オリジナル作品集だ。それぞれ初出しの媒体が違うので、各短編のページ数にバラツキはあるものの、いずれもこれぞ宮本昌孝という作品ばかりだった。
唯一の書下ろし作品である「幽鬼御所」は、『勢州軍記』と『多芸録』という二つの史書に記されている伊勢国司・北畠具房の没年の違いを元に、氏の独自の仮説で組み立てた物語だった。道を究めし者が己れの内面と向き合う剣豪小説の側面を、信長が最も寵愛したといわれる伊勢の小土豪坂家の娘・佳乃に託し、幼き頃佳乃が恋心を寄せた北畠具教の息子の具房と、かつて佳乃の許嫁であった岡本良勝の物語を絡めて、覇権争いを描いた軍記小説の要素を盛り込んでいる。わずか36頁しかない短編なのだが、ラストに向かって収束されていく切れ味は抜群だった。さらに、宮本ファンには嬉しい仕込みがされている。「幽鬼御所」を読んだあと、『ドナ・ビボラの爪』の再読をおすすめしたい。あの歴史巨編がさらに深みを増すのだ。今月は、宮本昌孝にどっぷりはまっていただきたい。
本書は、時代小説短編集と思いきや、ラストの一編に「まんぼの遺産」という現代小説が収録されている。主人公である僕は、おそらく著者のことだろう。祖母の葬儀で訪れた静岡県引佐郡東黒田の祖母の家から墓地へ向かう坂の途中の、物置小屋の黒い長櫃の中に『御湯放記』と書かれた冊子を見つける。そこから、『御湯放記』には何が記されているのかを、女子大生の依田奏と紐解いていくという組み立てで物語が構成されている。なんとユーモアに富んだ仮説だろう、と笑いながら読み終えた後、「遥けき過去とのつながり」という前半に登場する一文を思い出す。過去とのつながりを紡ぎなおすことこそが、著者の創作の原点なのかもしれない。そう、「まんぼの遺産」は著者の創作に対する立ち位置を知る大切な一篇だったのだ。
なんとも贅沢な一冊である。宮本ファンならずとも、ぜひ一読いただきたい。