[本の森 SF・ファンタジー]『ポロック生命体』瀬名秀明
[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)
去年からあるアイドルにはまっている。ついつい動画を見てしまう。
頻繁に公開されるコンテンツを楽しみ、そのクオリティに驚かされながら、わたしたちファンがこんなにたくさん新しいものを享受できるということは……と考える。それはつまり、彼らが休みなく働いているということだ。超人的だ。心身は大丈夫なのだろうか。もし彼らが人間ではないと言われても、それほど驚かなかったりして、などと思ったりもする。
ただ、人間でなかったら「好きな気持ち」が維持されるかは分からない。興奮を担保するのは、その対象が肉体を持っているという事実なのかもしれないと、そんな想像をするたびに思う。
四つの中短編が収められた瀬名秀明『ポロック生命体』(新潮社)は、人間対AIの構図を通して「人を人たらしめるもの」の根幹に迫った作品集だ。〈潔く投了する〉ことのできる将棋AIと駒を操るアームの開発に携わることになった大学院生の視点で、知能が包含する知性のありようを描き出した「負ける」、AIと人間との共作小説に、若い編集者が感情を翻弄される「144C」、読み手の読解力と小説の分かりやすさのレベルが指数化された世界を、未来に住む「私」が振り返る「きみに読む物語」、そして二十世紀のアメリカの画家、ジャクソン・ポロックの名が冠された表題作は、感動とは何かという問いをもっとも鮮明に突き付けてくる。
社会と科学の相関関係、科学技術社会論を研究する水戸絵里(みとえり)のもとに、友人の今日子(きょうこ)から相談がもちかけられる。亡くなった今日子の祖父・光谷一郎(みつたにいちろう)は、かつて日本のポロックと呼ばれた画家で、人気作家・上田猛(うえだたける)の本の装幀を長年手掛けたことでも知られていた。
今日子の相談とは、上田の息子・石崎博史(いしざきひろし)を訴えたいというものだった。石崎は光谷の絵をAIに学習させ、AIが生成した「作品」を上田の再刊本の装画として発表していた。このような形で祖父が「再生」させられることに対して、憤りを抱えているのだと今日子は水戸に語る。石崎の会社を訪れた水戸は、実は光谷は死の数年前から、AIの力を借りて絵を描いていたということを知る――。
石崎のAIが生んだ「作品」は、人を感動させるに足るものだということ。自分自身も感動したひとりだということ。今日子の気持ちを慮りつつ、水戸はその事実から目を背けない。絵画でも小説でも、人の心を動かすのは作品に宿る生命力であり、AIが作品に生命力を吹き込むことができないとは誰にも言えないのではないか、と。
水戸が、あるいたましい出来事を経験して得た考え方は、人間の「心の未来」を予感させる。帯に「シンギュラリティに備えよ!」とあるが、実のところ、シンギュラリティを恐れることはないと、この小説は教えてくれているような気がする。