【聞きたい。】上野誠さん 『万葉学者、墓をしまい母を送る』
[文] 喜多由浩(産経新聞社 文化部編集委員)
■生き生き介護や送りこそ大事
かつて日本人が行ってきた葬儀やお墓に関する文化や慣習が、時代を経てどう変わっていったのか。著者の体験をもとに克明につづられていて興味深い。
昭和48年に亡くなった祖父の葬儀は自宅で行われた。その規模や焼香の順番などの段取りは家族、親類、近所の大人の「男」によって決められ、参列者に振る舞う食事はすべて同様の「女」が用意する。死者が再び家に帰ってこないための「茶碗(ちゃわん)割り」や棺を回す儀礼…。当時中学生だった著者は、遺体を清める「湯灌(ゆかん)」を手伝った。
「死者(祖父)をお風呂場へ連れて行って身体を洗うという行為に、13歳の私は腰を抜かすほど驚きました。他の儀式もそうですが、日本人はかつて『豊かな死の文化』を持っていたのだと思いますね」
手広く商売をやり、財をなした祖父が建てた墓は2階建ての豪勢なものだった。だが、その墓も62年後に「墓じまい」を余儀なくされる。維持してゆく経済力も、その地で墓を守る者もいなくなったからだ。
「『お墓を大切にしなさい』『掃除は丁寧にしなさい』と教えられました。お墓を見て周りの人が『あの家はダメだ』と思ったり、縁談に差し支えることもあったからです。墓じまいをせざるを得なくなって親類にもおわびしましたよ」
やがて、老いた母親を看る者がいなくなり、離れた地に住む著者が引き取って病院を転々とする。約7年後に母親が亡くなったとき、送る儀式は祖父と違って葬儀社などにすっかり“外注化”されていた。
「『外注化の流れ』に抗することはできない半面、もう少し、親(ちか)しく母の死を抱きとめてあげられなかったか、という思いは残りました。ただ、そうしていたら私たちの生活は“壊れた”でしょうね。生きている人間が生き生きできる介護や送りこそが大事だというのは母の思いでもありましたから」(講談社・1400円+税)
喜多由浩
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【プロフィル】上野誠
うえの・まこと 奈良大学教授(国文学)。昭和35年、福岡県生まれ。国学院大学大学院文学研究科博士課程後期単位取得満期退学。研究テーマは万葉挽歌(ばんか)の史的研究と万葉文化論。