長年活躍してきた批評家が挑んだ「初小説」の真意

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長年活躍してきた批評家が挑んだ「初小説」の真意

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


新潮 2020年4月号

 今回の対象は文芸誌4月号。注目作は、佐々木敦「半睡」(新潮)だ。長年活躍してきた批評家が挑んだ「初小説」である。

 映画、音楽、演劇と佐々木の関わってきたジャンルは多岐にわたり、近年は文学に比重が置かれていたが、本作を発表するのに先立ち、批評家引退宣言をした。

「半睡」の大枠はこうだ。

 語り手の「わたし」が、「一日目」から「十日目」まで、不眠をめぐる10の断章を綴っていく。きっかけは、翻訳家・大学教授から突如作家に転身した老大家Y・Yの長篇『フォー・スリープレス・ナイト』、その発刊イベントで相手役を務めたことだった。不眠と自分の人生の関わりへの回想が決心を生み、「わたし」は「これ」を書き始める。

 手記は絶えず『フォー・スリープレス・ナイト』を呼び込む。そこにさらに「わたし」が見聞きした、不眠にまつわる小説や映画、演劇に対する批評的な言及が織り込まれていくのだが、それらには「わたし」が関係した二人の女性MとNの物語が絡むものもある。

 一方で、「何ごとも包み隠さず、事実に基づき、可能な限りの正直さと誠実さをもって、わたしはこれを毎日書き継いでいく」と宣誓しながら、幾度も中断されては年を経て再開され、「また嘘をついた」と言っては虚実が二転三転し、あげく「この奇妙な書きものは、いったい何なのか?」と自分そして「あなた」に問う。この問いはご丁寧にも「読者への挑戦」に姿を変える。「十日目」の日付は「三月十一日」だ。

 さてこの小説は何なのか。乱暴に答えを出すなら、村上春樹(M)から夏目漱石(N)へ遡る近現代日本文学のある種の総括と、「夢」を封じられた3・11以後の現実を、自身の批評を実践に移し捏ね上げた構築物である。問題は、こうまで「不格好な」構築物を必要とした作家の必然とは何か、だ。

 残念に思ったことをひとつ。作中、実に念入りに固有名を伏せてきたというのに、文末の参考作品に作家名・作品名が元ネタガイドよろしく並ぶのだ。興を削がれる始末だが、北条裕子「美しい顔」盗作疑惑騒動のトラウマだろう。

新潮社 週刊新潮
2020年5月21日夏端月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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