「潔く生きるということを描きたい」――『黙(しじま)』著者新刊記念インタビュー 辻堂魁/インタビュー 末國善己

インタビュー

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黙

『黙』

著者
辻堂魁 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334913472
発売日
2020/05/21
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

介錯人

『介錯人』

著者
辻堂魁 [著]
出版社
光文社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784334912680
発売日
2019/02/20
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

「潔く生きるということを描きたい」

[文] 末國善己(文芸評論家)


辻堂魁さん

累計200万部を突破した「風の市兵衛」シリーズの人気作家、辻堂魁の初の単行本『介錯人』は、命と向き合う若き凄腕介錯人、別所龍玄の物語。傑作と書評家たちを唸らせ、切望されていた続編『黙』がついに刊行される。凜とした男の生き様が描かれる世界を、熱く語っていただきました。

――『介錯人』は、武士が切腹をする時に介錯をする介錯人の別所龍玄(べつしよりゆうげん)を主人公にしています。なぜヒーローに介錯人を選ばれたのでしょうか。

辻堂 時代小説を書く時は、まず主人公を考えます。武士が切腹をする際に介錯人を付けることは知っていましたが、誰が介錯人を務めるかなど深く考えてはいませんでした。江戸時代は天下太平が長く続き武士も町人のようになりましたが、粗相を犯し罪を問われると切腹して責任を取りました。その時、切腹しても上役には病死と届けるのですが、上役はすべてを承知した上で家督の相続を許したそうです。武士は家を守るために切腹するのですが、腹部には太い血管が通っていないので、即死せず苦しみが長く続きます。その苦痛を断ち切るのが介錯で、本来なら練達(れんたつ)の家臣が首を落とすのですが、家禄(かろく)が低い武士は家臣を抱えることが経済的に難しいため、市中に練達の士を求めたようです。そのことが江戸文化研究家の三田村鳶魚(みたむらえんぎよ)さんの本にあって、では市中の介錯人はどこかの家中の武士なのか、それとも浪人なのか、雇うにはいくらお金がかかるのかなど想像をふくらませて別所龍玄を作りました。

―― 龍玄は、罪人を斬首(ざんしゆ)する首斬役にして、武士が切腹をする時に介錯をする介錯人でもあります。そのため、家中の秘密に触れることも多くなっていますね。

辻堂 それは当然あります。小説は裏がないと面白くありません。龍玄は介錯をする時は事情を聞くという設定にしていますが、これは龍玄を唯の介錯人ではなく、死に向かう人と心を通わせる人物にするためです。

―― 介錯人は人の死にかかわるので非情な一匹狼として描かれるかと思いきや、龍玄は家に帰ると、妻の百合(ゆり)と娘の杏子(あんず)、金貸しをしている母の静江(しずえ)たちと穏やかな生活を送っています。この設定には、驚かされました。

辻堂 ごくまれにファンレターをいただくのですが、案外に女性の方が多いんです。その手紙を読んでいると、家庭内の主人公を描いたところが面白かったという声がありました。首斬人、介錯人には恐いイメージもあるので、家では妻も子供もいる普通の生活をしていて、一歩外に出ると非情な仕事を粛々とこなす主人公がいいのではないかと考えました。龍玄と父や祖父との関係、百合との夫婦愛、杏子との親子愛を描くと物語に広がりも出ます。

―― 龍玄の家が無縁坂(むえんざか)にあるというのも、介錯人という仕事と合っています。

辻堂 江戸の絵地図を見ていると、本郷(ほんごう)から下っていったところに無縁坂があることに気付き、実際に行ってみました。ここで暮らしている男が牢屋敷や武家屋敷に行って首を落とし、家に帰ってくると妻と娘、現実的な母親がいるというのは、我ながらいい設定を思い付いたと考えています(笑)。

―― 斬首や切腹は時代小説ではお馴染みの言葉ですが、実際にどのようなものだったのか、すぐに思い浮かべられる現代人は少ないと思います。前作『介錯人』では、十文字に腹を切り終えるまで苦痛に耐える壮絶な切腹や、罪人が斬首されるまでのプロセスを丹念に描かれていました。

辻堂 調べてみると、斬首も切腹も作法がしっかりしているんです。斬首も切腹も作法通りに淡々と進んでいくので、残酷ではあるのですが、現代人が考えるほどウェットな部分がないことに驚きました。

―― 辻堂さんのもう一つのシリーズ〈風(かぜ)の市兵衛(いちべえ)〉では、事件に巻き込まれた市兵衛が解決のために動くので最後には爽快感があります。これに対し「介錯人」の龍玄は、斬首にしても切腹にしても、既に終わった事件の最後の処置にかかわるだけなので、不条理やせつなさを感じる物語も多いです。それだけに、描くのが難しいのではないでしょうか。

辻堂 難しいですね。斬首にしても、切腹にしても、龍玄が首を斬る相手と触れ合うエピソードを作り、次第に心と心が通い合うような物語を書くようにしています。例えば『介錯人別所龍玄始末』(宝島社文庫)の一編「悲悲(かなかな)……」は、龍玄が、錯乱して人を殺した武士の父に頼まれ、介錯をすることになります。このエピソードは『葉隠(はがくれ)』を参考にしたもので、現代でも仕事で追いつめられた人が錯乱することはあるので、とても共感できたんです。それと並行して、龍玄の幼馴染みだった少女が転落し、最下層で体を売る船饅頭になったエピソードを描きました。この二つは別の物語ですが、龍玄が両方にかかわることで、物語に奥行きが出たと考えています。

――『介錯人』の待望の続編が刊行されます。第一話「妻恋坂(つまこひさか)」は、龍玄が子供の頃に父の行きつけだった居酒屋の子供と遊んだ過去のパートと、龍玄が修行方法を咎(とが)められ同僚を殺害した僧の斬首をすることになる現在のパートが交互に描かれ、後に二つのパートが意外な形で繋がります。続く「破門」は、大沢道場に通い始めた頃の龍玄の物語で、名家の子供たちのグループと龍玄ら浪人や下級武士のグループの子供たちの確執が描かれています。どちらも龍玄の過去を題材にしていますが、これは意識されたのでしょうか。

辻堂 「妻恋坂」は、龍玄と祖父、父の繋がりに着目することで介錯人になる原点を、「破門」は剣の才能に目覚める瞬間を書きましたが、特に龍玄の過去を掘り下げることは意識していませんでした。「悲悲……」もそうですが、龍玄の過去と現在を並行して描くと物語に広がりがでるので、今後も龍玄の過去のエピソードは織り込んでいこうと考えています。

――「惣領除(そうりようのき)」は、龍玄が受けた奇妙な依頼の意味が次第に明らかになっていく緻密な構成と、ラストに浮かび上がる親子の情愛がもたらす感動が見事に融合していて、シリーズの中でも最高傑作だと思いました。

辻堂 ありがとうございます。

―― 幕臣の平井喜八(ひらいきはち)の惣領・伝七郎(でんしちろう)が、同朋頭の春阿弥(しゆんあみ)の娘を襲ったとの疑惑をかけられ切腹します。喜八は、武芸や学問より芸事を好んでいた伝七郎を苦々しく思っていましたが、息子の芸が一流の域に達していると知り認めようとした矢先、身に覚えのない罪で腹を切らせなくてはならなくなります。この展開は、本当にせつなかったです。

辻堂 「惣領除」も、鳶魚さんの本に、江戸時代には、長男の出来が悪かったら別の者、弟や親類の血のつながった男子に家督(かとく)を継がせる「惣領除」というものがあったと書かれていたので、それをベースにしました。「惣領除」では、伝七郎が「能楽者(のうらくもの)」だから、喜八が家督を継がせるのに不安を覚えます。「能楽者」は実際に使われていた言葉で、現在でいえば趣味に生きるオタクのような人たちですね。伝七郎は、芸は一流で性格も悪くないのですが、武家を継ぐのは難しい。江戸時代は、長男が家督を相続するのが基本なので、喜八は悩むわけです。父親が息子の芸を認めようとした矢先、息子がいわれなき罪で切腹しなくてはならなくなります。実はこの事件は、家族旅行に行った少年が、襖(ふすま)一枚隔てた隣室に泊まっている一家の子守の少女に好奇心を抱き、両家の間にある襖を誰かが開けるという小さな事件が起きた時、犯人との疑いをかけられる志賀直哉の短編「襖」を参考にしました。

―― 伝七郎を切腹に追い込んだ裏の事情を知った喜八は、復讐のため敵(かたき)を襲撃します。太平が長く続いた江戸後期なので、襲撃する喜八も、守る敵側も真剣で戦った経験がなく、斬られても死に切れず道端でうめき声を上げていたり、血まみれになりながら剣を振り回したりするクライマックスの剣戟(けんげき)シーンは、壮絶で強く印象に残りました。

辻堂 私が十代の頃に剣戟をリアルに描く時代劇が出てきて、それに夢中になりました。だから最近の、カンフーのようなチャンバラはあまり好きではありません。少年時代に見た時代劇の影響が強く残っているので、大人数ではなく一人、二人が斬り合う、真剣を抜いたことのない武士同士が戦う、斬られても死に切れない人間が画面の中で転げ回っているというのは、ごく普通のチャンバラだと思います。喜八に鎖帷子(くさりかたびら)を着せましたが、着物が切られ中から鎖帷子がのぞいているという場面が好きなので、今回も書いてみました(笑)。

―― 今回の作品は、親子関係を描いた作品が多かったのですが、龍玄が、客に乱暴した罪で斬首になる亭主の首斬役を金貸しの女に頼まれる最終話「十両首」は、夫婦の物語になっていました。

辻堂 岸井良衞(きしいよしえ)さんの『江戸・町づくし稿』に、岡場所の顔役が揉め事に巻き込まれて処刑され、供養は許されないにもかかわらず女房が晒(さら)されていた首を持ち帰って供養した話があり、「十両首」はそれを参考にしました。妻も夫もかなりの年なのですが、世間からは悪どい仕事をしていると蔑(さげす)まれている夫婦が、実は誰よりも強い意志や純情でけなげな夫婦愛を抱いているという意外性を書いてみました。

―― 武士の切腹は、責任を取るために行われます。それをサポートする龍玄の活躍は、不祥事があっても誰も責任を取らない現代の日本への批判が込められているように思えるのですが。

辻堂 私は団塊(だんかい)の世代なので、戦後の「戦争責任」という言葉を聞いて育ちました。ただそれ以降は、責任という言葉はあまり使われなくなっていましたが、四十代か五十代の頃に「アカウンタビリティ」「レスポンシビリティ」という言葉が海外から伝わってきて、民主的な法治国家では責任を取るのが当たり前だといわれるようになりました。最近は、「自己責任」が個人を責める時に使われていますが、武士の切腹は自己責任を取るのではなく、奉公人であれ浪人であれ、武士という公的な己の罪を償うという意味です。武士は他人を、自己責任だから腹を切れ、などと責めたりはしません。公的な立場である武士ならば、腹を切るしかあるまい、と思っているだけです。自己責任と個人を責める時代は、武士のいた時代よりも野蛮だと思います。始末を付ける、潔く生きるということを描きたいというのが時代小説を書く切っ掛けでもありましたから、誰もやりたがらない切腹の手助けをする龍玄を通して、始末を付ける、責任を取ることの意味を出せればというのはあります。

―― シリーズの今後の展開を教えてください。

辻堂 今後どのように展開していくかは考えていませんが、切腹の理由は非常に限られていますから、その狭い世界に龍玄が入っていく面白い理由を見つけながら、新作を書き継いでいきたいと考えています。

辻堂魁(つじどう・かい)
1948年高知県生まれ。いくつもの人気シリーズをもつ。大ベストセラー「風の市兵衛」シリーズで、歴史時代作家クラブ賞を受賞。NHKでテレビドラマ化もされた。

光文社 小説宝石
2020年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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