東宝、松竹、吉本……ヤクザなしでは語れない「興行師たち」の栄枯盛衰 演劇研究者が語る

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興行師列伝

『興行師列伝』

著者
笹山 敬輔 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
芸術・生活/演劇・映画
ISBN
9784106108457
発売日
2020/01/17
価格
902円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

ヤクザなしでは語れない「興行師たち」の栄枯盛衰

[文] 財界展望新社


演劇研究者の笹山敬輔さん

 元々、私は大学で演劇史を研究していました。そのうちに大衆芸能に関心が移り、明治・大正期の、今で言うアイドルのような人々の評伝『幻の近代アイドル史明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』と、昭和喜劇人の評伝『昭和芸人 七人の最期』を出版し、次のテーマとして興行も演劇を構成する重要な要素だと考え、その歴史の調査に取り組みました。

 今回上梓した『興行師列伝 愛と裏切りの近代芸能史』(新潮新書)はその成果です。

 興行師を調べると、映画、歌舞伎、ミュージカル、宝塚、演芸、と幅広いジャンルを網羅しており、今の芸能の成り立ちが見えてきます。しかし、その割には資料が少ない。東宝創業者の小林一三、吉本興業創業者の吉本せい、松竹創業者の大谷竹次郎についてはいくつか類書があるものの、その他の興行師についてはあまりない。

 戦後の芸能とヤクザのつながりは一般的にもよく知られています。有名どころでは三代目山口組組長で芸能事務所・神戸芸能社社長の田岡一雄がいますし、もっと遡れば連綿と続いているものも多々あります。

 昨今は吉本と闇社会のつながりばかりがフィーチャーされました。確かに吉本が山口組と関係性が強かったことは間違いありません。では、松竹や東宝がヤクザと全く関係がなかったかというと、当然そうではありません。東宝は比較的クリーンなイメージがありますが、業界人に言わせれば「決してそうではない」。東宝のクリーンなイメージの理由のひとつは、小林一三が自分の主張をたくさん書き残しているからです。

 その一方で大谷竹次郎は自分で書いたものが少ない。小林一三の言に沿って見てしまうので、まるで松竹の旧態依然とした芸能に東宝が近代を取り入れたように見える。その側面もありますが、そうでないしたたかな面もあります。

東宝と裏社会の密接関係

 本書には書き込めませんでしたが、戦後、東宝は有楽町を広く押さえていました。そこで暗躍したのが児玉誉士夫の下にいた北星会会長・岡村吾一です。東宝とのつながりは深く、東宝も有楽町で興行を打つにあたってヤクザと無関係ではいられなかったのです。

 一方、吉本は山口組とのつながりが有名です。山口組自体は三代目の田岡一雄になってから急速に拡大しますが、吉本は二代目山口登の時代、まだ山口組が一地方ヤクザの時から関係があり、戦後、山口組が大きくなっていくのと、吉本が演芸をスタートさせて成長していくのと時期が重なっていました。

 また、吉本は戦後の一時期、演芸を止めて、吉本せいの実弟・林正之助と林弘高が社長になった時代にプロレス興行に関わっています。戦後のプロレス興行には山口登の舎弟で興行界のドンである永田貞雄に並んで林弘高も名を連ねています。様々な面で関係性が濃かったのです。

 私は、芸能には光と闇があるという認識なので、過去に芸能とヤクザの関係が深かったことも隠す必要はないと思っています。それはそれとして非難するつもりもないし、わざわざ粉飾して美談にする必要もないと思います。

 また、映画界においては映画の撮影所自体がまさに様々な人のるつぼになっていました。ヤクザばかりでなく、アナーキストの出入りも多く、言ってみれば治外法権的というか、多様な人を吸収する場所として撮影所が機能していた部分があったようです。

 近代社会では芸能の存在が大きく変わりました。大衆が大きな存在となり、国が国民を作るのと同じ歩みで、興行も大衆社会の中で成り立ってきました。昔は席亭、興行主といえばひとつの寄席、ひとつの劇場という感覚でしたが、やがてチェーン化され、興行を独占する大興行師が現れました。それは、大衆消費社会が到来して大衆が画一的に同じものを見て享受するという時代環境に即したものでした。

興行師の独特な金銭感覚

 今は娯楽が個人化していき、観劇は趣味のひとつでしかありません。かつてのように国民を統合するような興行は、演劇の世界では難しくなっています。その一方で、興行を広告代理店などの企業が仕切るようになり、個人としての大興行師が活躍する余地が減ってきました。

 このように変化した部分もありますが、昔から変わっていない部分もあります。元々、興行師は山師的なところがあり、松竹は歌舞伎だけではなく、宝塚、松竹歌劇、映画など、カネになりそうなところにどんどん進出していきました。そういう意味で、万博誘致やアジア進出などを行っている今の吉本に興行師的なマインドが根付いているのを感じます。

 幕末から明治にかけての興行師に面白い逸話があります。ある人が「自分も興行をやりたい」という相談を持ちかけると、興行師は「それなら、今すぐ千両箱を道の真ん中において一晩寝ろ。それでぐっすり眠れたら話を聞いてやる」と言ったそうです。カネを粗末にしてもぐっすり眠れるようでなければ興行なんて打てない。

 興行師の十二代目守田勘弥も「自分のカネでやるのは二流、人のカネでやるのが興行」と父から教えられたそうです。

 興行師は相場師にも似た独特の金銭感覚があります。ただし、相場師の成功失敗は相場師だけの問題ですが、興行師は多くの人の扶持に関わっている点が違います。

 何が当たるかわからない、勝ち続けることが極めて難しい世界でもあります。年を取れば時代を読む感覚が衰えるし、ジャンルそのものの盛衰もある。負けて終わることもある。その点こそが興行師の魅力でもあります。

 守田勘彌も死に際は歌舞伎座と関わりがなくなっていきました。大谷竹次郎の晩年には、松竹映画が不振になりました。吉本せいも、戦後は林家に実権が移り、演芸は花菱アチャコしかいない状況。永田雅一の大映は経営破綻し、小林一三は彼が理想とした国民劇を実現できませんでした。興行師の人生には輝かしい面と同時に悲哀も凝縮されています。

 演劇が映画になったりテレビになったりと形を変えても興行の本質は今も昔も変わらない。それが本書を執筆し終えた今の実感です。

 ***

笹山敬輔(ささやま・けいすけ)
1979年生まれ。演劇研究者。筑波大学大学院博士課程人文社会科学研究科文芸・言語専攻修了。博士(文学)。著書に『演技術の日本近代』(森話社)、『幻の近代アイドル史――明治・大正・昭和の大衆芸能盛衰記』(彩流社)、『昭和芸人 七人の最期』(文春文庫)など。

「ZAITEN」2020年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです
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