皇族も自由を求めている 島田雅彦の皇室小説を新聞記者の望月衣塑子はどう読んだのか?

対談・鼎談

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スノードロップ = Galanthus nivalis L.Snowdrop

『スノードロップ = Galanthus nivalis L.Snowdrop』

著者
島田, 雅彦, 1961-
出版社
新潮社
ISBN
9784103622109
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

皇后陛下が立ち上がる時

[文] 新潮社


望月衣塑子さんと島田雅彦さん

島田雅彦×望月衣塑子・対談「皇后陛下が立ち上がる時」

「令和」改元から1年。新しい天皇陛下の世がいよいよ本格的に始まる今、小説家・島田雅彦の想像力が未来の皇室像を予言する小説『スノードロップ』が刊行した。日本の政治の最先端に立ち、首相官邸での「質問」により世論を動かす新聞記者は、この小説をどう読んだか? 著者の島田さんと新聞記者の望月衣塑子さんのスリリングな対話をお届けする。

 ***

新しい皇室像へ

望月 去年、「令和」改元の際、マスメディアは天皇制が抱える問題やタブーに斬り込まずにお祭り騒ぎを展開しました。天皇が生前退位するという特殊な状況だったにせよ、安倍政権の狙いに乗ったわけで、皇室が政治利用される時代に一歩近づいた印象があります。『スノードロップ』は、皇室が時の権力の要請に左右されず、人類がどんな価値を求めるべきか、旗印を築くために立ち上がる物語です。格差が広がり、感染症が蔓延し、不安や憎悪が広がる今こそ、皇室が世界に本来進むべき道を指し示すというのは、理想的なヴィジョンだと痛感しました。

島田 遡ればもう20年前、『無限カノン』というシリーズの三部作を書いたんです。三島由紀夫が同じ年ごろに書いた『豊饒の海』を強烈に意識したのですが、第一部『春の雪』は発表当初からモデルが皇族だと分かる小説で意図的な「不敬文学」と捉える読み方がありました。何しろ、大蔵官僚だった三島と正田美智子さんが見合いしたという噂があるくらいですから、リアルな設定でした。美智子さんはたくさんお見合いをしていて、三島もその中のひとりだったというんです。

望月 そんな話があったのですか。

島田 そうした先達のひそみに倣い、一世一代の大恋愛小説を書いたのです。ところが、出版時期と雅子妃のご懐妊が重なり、世論の反発や右翼の攻撃が予想され、出版延期になりました。皇室の微妙なタブーに触れた小説を書くと自粛を迫られる「言論の自由」問題に触れ、意気消沈しましたが、作品は一応全力を尽くして書きました。

望月 前段があったわけですね。

島田 しかし、あの三部作を発表して20年経ったら、政治は著しく劣化し、国会やメディアにおいて、民主主義的な議論そのものが成り立たない、独裁マフィア政権になってしまいました。市民の良識や法治主義、立憲主義が機能不全に陥り、希望が消えかかっている状況の中、小説家としてできることを精一杯やってみようと「アラ還」の我が身を奮い立たせてみました。

望月 小説の中では、皇室を意のままに動かそうと試みる腐敗した政権に対して、不二子という名の皇后とその娘の舞子さまが立ち上がる設定になっています。母と娘が作中のように現実政治から距離を取りつつ、しなやかな自由を確保して活動する存在ならば世の中変わるのでは、と思いながら一気に読了しました。

島田 ありがとうございます。21世紀の初頭は「菊のタブー」が厳然と残っており、皇族の恋や本音を書くだけでまだ危険を感じました。しかし、平成の天皇がより「開かれた皇室」を実現し、ネガティブキャンペーンも含めた記事や報道が大量に出て、いつの間にかタブーもどこかに行ってしまいました。とりわけ、皇后陛下は皇太子妃の時代、ネトウヨと思われる人たちの手によって読むに耐えないほどひどい人格攻撃を受けています。当然、眼にしていたら傷つくでしょう。

望月 高学歴のバリキャリで仕事もしていた雅子さんがお妃候補として登場した時は、私たちの前に新しい皇室像が展開される期待感が強かったのです。しかし、皇室に入った瞬間からバッシングを受けて、どんどん精神的に追い込まれてゆくのを見るのはショックでした。そして、私が職業として選択したメディアもまた雅子妃に対する抑圧を仕掛ける側だったことに、深い闇を感じます。

島田 新聞記者の世界でも依然ジェンダー差別は色濃く残っていますか?

望月 昔は「妊娠しました」と打ち明けると周囲に嫌がられて、「申し訳ございません」と謝るような感じでした。幹部マニュアルが出来て、マタハラは許されなくなっていますけれど、2人目の妊娠を告げたある幹部からは「頭では理解したが、心では泣いていた」と後日、打ち明けられました。出産で記者が欠けるのは会社にとって痛手だ、という認識はまだあるように感じます。長い目で見れば、記者個人だけでなく、会社や社会にとっても意義のあることだと思いますが。私の10歳上くらいの世代の女性記者だと、周囲から「産まない前提で仕事やっているんでしょう」という感じでみられ、結婚や出産に踏み出せない先輩もいたのだと思います。

島田 どの業界でも変わらないですね。

望月 いつ産むかというタイミングを自由に決められるようになったのは、私ぐらいの代からでしょうか……。最近は子供を産んで仕事も続ける、という選択は自然になりましたから、社内の環境もずいぶん変わったと思います。
 ただ、この数年間、首相官邸の記者会見に出席し、政治の表舞台に入ってゆくと、女性に対する蔑視や軽視がまだまだひどいと感じます。私自身は、ジェンダー問題については大学の一時期、関心があり学びましたが、社会人になってからは距離を置いてきたような所がありました。男上位の政界や社会の閉塞を体感している今は、過去のジェンダー的な規範から男性も女性も解き放たれるべき時だと強く感じます。
 かつて、雅子妃が適応障害という診断を受けた頃、皇室担当記者に状況を聞くと、「旦那さんはすごくいい人なんだけれど、雅子さんがちょっと……」という答えが返ってきました。この考えは宮内庁の旧態依然さの反映であり、政治報道の現場よりひどいのでは、と思いました。島田さんは、市民が皇室に入ると女性の人権が蔑ろにされる、という問題意識を一貫して持っておられたのですね。

島田 もともと天皇家に生まれた方々は、自分の境遇を受けいれるほかありません。でも、普通に育った人が皇族となりいきなり因習だらけの環境に置かれたら、適応障害にならない方がおかしい。雅子皇后は外交官としてのキャリアを捨てる際、皇室外交という活躍の場がある、と言い含められたそうです。しかし、外務省に邪魔されて、外遊の機会など数えるほどしか与えられません。皇太子妃時代の、あの「人格否定発言」は、そうした環境を如実に現しています。世間の方も世継ぎに対する期待しかなく、ほとんど「産む機械」扱い。今からでも雅子皇后は#MeToo運動に加わるべきだと思いますね。

望月 皇室を見渡すと、新たに強いメッセージを発信できる人は、長くメディアの攻撃を受け皇室への「適応障害」に苦しんできた雅子皇后しかいないのではないか。島田さんは、その期待を小説として書いたわけですね。普通の小説の読み方から外れている気もしますけど(笑)。

島田 いや、目指したところはまさに望月さんの読み通りです。日本で男女平等の実現は、ワールドスタンダードからかなり立ち遅れています。現状の改革は当然必要として、一方で皇后の役割は歴史的に小さいものではないのです。天武天皇の没後、称制した後即位し、白村江の戦いの戦後処理に功績のあった女帝持統天皇。近代に入っても、ハンセン氏病救済事業に尽力し、戦中には神がかりになって昭和天皇に大きな影響を与えた貞明皇太后、平民初の皇后として大衆天皇制下のスターであり続けた美智子上皇后など、国母の影響力は大きいのです。ですから、皇后の地位はジェンダー論的な議論よりも上位の概念として考える必要があるかもしれません。雅子妃も、皇后になれば権威も違いますし、自由度が増してさまざまな活動が可能になります。皇后として存在感を増すことが、結果的に「人格否定」への最良の復讐となるかもしれません。

望月 復讐ですか(笑)。なるほど。

島田 天皇が一貫して雅子皇后を守っているのも大きいです。彼は歴代天皇の中で最高のフェミニストかもしれません。

望月 平成の代とはまた違う斬新な皇室像を思い描いていますね。

新潮社 波
2020年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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