『卍どもえ』
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【聞きたい。】辻原登さん 『卍どもえ』 すれ違う男と交わる女
[文] 海老沢類(産経新聞社)
「たった一人の主人公の成長を描くことに僕はあまり興味がないのかもしれない。時代のいかがわしさとそこを生きる人々…。それが小説の一つのモチーフになっている気がします」
立ち居振る舞いは端正でも、ときに欲望や本能につき動かされる。そんな大人の男女の群像を、平成という時代の空気とともに描いた魅惑的な長編小説だ。
東京・南青山にオフィスを構える51歳の気鋭のデザイナー、瓜生甫(うりゅう・はじめ)は、妻のちづると長くセックスレスの関係になっていた。そんなある日、ちづるは年下の女性ネイリストに誘われ、性愛関係を結ぶ。バブル景気の狂乱、地下鉄サリン事件、東京・渋谷の温泉施設爆発事故…。平成の世相を背景にした物語で、欲にまみれた男性たちは妻や愛人らとすれ違いを重ねる。一方で、女性同士は深く交わりながら、秘密の結束を築く。「仕事や恋をして生きる中で、男女間に限らず女性同士にも強いつながりが出るのは当然。人間のありようの一つですよ」
目立った主役はいない。登場人物の過去と現在が点描され、それぞれが意外な縁によって絡み合っていく様子は、タイトルの「卍どもえ」そのもの。不思議としかいえない偶然のいたずらも、人を結びつける。
「現実世界はいろんな偶然の一致に満ちているんだけれど、本人はそのことをほとんど知らないまま生きている。自分自身の死を味わえないのと同じです。でも、小説という形だったらそれを神の視点から一望できる。読者は実際には体験できないことを小説で疑似体験することで、人生のうまみを味わえるんですよ」
芥川賞を受けて今年で30年。小説の執筆に、文学賞の選考に、と多忙な毎日だが「ヤマっ気が多いので遊ぶことばかり考えている」と笑う。古今東西の映画や音楽、絵画のうんちくも楽しい本書はその多趣味の証しでもある。(中央公論新社・1800円+税)
海老沢類
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【プロフィル】辻原登
つじはら・のぼる 昭和20年、和歌山県生まれ。平成2年に「村の名前」で芥川賞。11年に『翔べ麒麟(きりん)』で読売文学賞、12年に『遊動亭円木』で谷崎潤一郎賞を受賞。ほかの著書に『韃靼の馬』など。