【ニューエンタメ書評】長沢樹『龍探特命探偵事務所 ドラゴン・リサーチ』、蓮見恭子『たこ焼きの岸本』ほか
レビュー
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エンタメ書評
[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)
この書評を書いているのは四月上旬である。新型コロナウイルスが猛威をふるっており、七都府県が緊急事態宣言の対象となった。私も埼玉在住なので、外出を控えている。まさか自分が生きているうちに、こんな末世のような空気を味わうことになるとは思わなかった。とはいえ日常生活は、それほど変わっていない。もともと家に籠って、本を読んで原稿を書く日々を過ごしていたので、そのまま継続するだけだ。大型書店に行かなければ入手できない本があるのが困りものだが、それもネットで注文すればいいのである。
しかし逆にいえば、物流なくして現在の生活は維持できない。今や、水道や電気と同様、物流が人々の暮らしを成り立たせているのだ。それが途絶えたらどうなるのか。福田和代の『東京ホロウアウト』(東京創元社)は、物流崩壊の危機を描いたリアル・サスペンスだ。
オリンピック開催間近の東京(本書が刊行されたのはオリンピック延期決定前である)。奥羽タイムス東京支社に、「オリンピック開会式の日に東京を走るトラックの荷台で、シアン化水素ガスを発生させる」という不審な電話がかかってくる。その後、宅配便の配送トラックから、シアン化水素ガスが発生。この事件に深く関係することになるのが、長距離トラックドライバーの世良隆司である。ドライバー仲間の浜口義三が事件の犯人だと知った彼は、姫トラッカーの本郷恵津美と協力。浜口を見つけ出し自首させた。疎遠になっていた弟で、警視庁オリンピック・パラリンピック競技大会総合対策本部警備担当の梶田淳警部にも連絡をする。しかしこれは、一連の騒動の始まりに過ぎない。道路やトラックを狙ったテロが相次ぎ、物流が滞ったことで、東京は機能停止に陥ろうとしていた……。
本書は、多数の人物の視点が短いスパンで切り替わる、モジュラータイプの作品だ。犯人は誰で目的は何かという興味の他に、物流の途絶えた東京で奮闘する人々の姿が読みどころになっている。つい最近のトイレットペーパーの買いだめ騒動を見ても分かるように、日常が崩壊する可能性が強まれば、人は容易に極端な行動に出る。その先にあるのはパニックだ。東京への一極集中化の弊害や、社会のシステムの脆さなど、描かれている問題はフィクションではない。だからこそ、隆司を始めとする各分野のプロたちの奮闘が頼もしく、名もなき庶民のしたたかな立ち回りが嬉しい。現実もこのようであって欲しいものだ。
長沢樹の『龍探 特命探偵事務所ドラゴン・リサーチ』(角川文庫)は、なんと通俗ハードボイルドだ。ちなみに通俗ハードボイルドとは、戦後の一時期にアメリカで盛んに書かれた、一群のハードボイルドのこと。タフガイの私立探偵が軽口を叩き、美女とよろしくやりながら事件を追うというのが、基本的なパターンだ。ハードボイルドのスタイルを通俗化させたものと思っていただきたい。私はこの通俗ハードボイルドが大好きなのだ。マイクル・アヴァロン、マイク・ロスコオ、サム・S・テイラー、リチャード・S・プラザー、フランク・ケーン……。通俗ハードボイルドをさらに先鋭化した、軽ハードボイルドのカーター・ブラウンまでひっくるめ、大いに愛しているのである。
そんな通俗ハードボイルド・テイストの横溢した作品が、令和の世に現れたのだから興奮せずにはいられない。主人公は、バツ3の元敏腕刑事・遊佐龍太。川崎で探偵事務所「ドラゴン・リサーチ」を営んでいる。借金のせいでヤクザに追われる美人AV監督の護衛を皮切りに、次々と危険な依頼が舞い込んだ。事件そのものは重いのだが、遊佐の言動は軽快。私生活はちょっとだらしなく、三人の元妻に息子の面倒を見てもらっているという設定など、ご機嫌である。ぜひともシリーズ化してもらいたい作品だ。
前川裕の『文豪芥川教授の殺人講座』(実業之日本社文庫)は、不穏なサイコ・ミステリーを得意とする作者が、新機軸を打ち出した連作集である。まず主人公の芥川竜介の設定が面白い。無双大学文学部の教授で、ミステリー作家なのだ。そう、大学教授兼作家である、作者自身がモデルになっているのである。その芥川が、大学や周囲で起きる、五つの事件を鮮やかに解決する。
どれも面白いのだが、特に注目したいのが、第三話「美醜と犯罪の比較関係論」と、第四話「身の上相談対処法演習」だ。「美醜~」は、講義を受講している学生から、文化サークルの顧問を頼まれた竜介が、これを引き受ける。そして出かけた合宿先で、過去の事件の話を聞くのだ。過去の事件の謎は、関係者の告白によって明らかになるのだが、そこに至るまでのストーリーが緻密に組み立てられている。主人公の絡ませ方も巧みで、いいミステリーを読んだという満足感が得られた。
そして「身の上~」だが、竜介が別の学部の専任講師から、家庭の相談を受ける。家に入り込むようになった庭師が、しだいに家族を支配するようになったというのだ。読者は、いかにも前川作品らしい状況だと思ってしまうだろうが、ここに罠がある。作者は自身の作品を、読者の注意を逸らす・レッドヘリング・として使用しているのだ。やってくれると感心していたら、さらに事件の真相が明らかになるラストで、不気味な犯人像が浮かび上がる。物語の外側まで意識した、テクニカルな秀作だ。
さらにすべての事件で、文学作品が活用されている。文学作品の活用自体は、以前の長篇でもあったが、より密接になっている点がポイントだろう。前川裕の作家としての軌跡と成長が、強く伝わってくる一冊だ。
称好軒梅庵の『光武大帝伝(一)劉秀、昆陽に百万の兵を破る』(宙出版)は、インターネットの小説投稿サイトに掲載された歴史小説を出版するレーベル「ヒストリアノベルズ」の最新刊だ。このレーベルでは、先に、殷に実在したといわれる王妃にして将軍・婦好を題材にした、佳穂一二三の『婦好戦記 最強の女将軍と最弱の巫女軍師』も刊行している。婦好にくらべれば、本書の主人公の光武帝は遥かにメジャーだ。とはいえ日本では、ほとんど作品が書かれていない。塚本?史の『光武帝』くらいだ。
その光武帝を、作者はどのように活写しているのか。時は、漢王朝が王莽に簒奪され、大いに世が乱れた時代。皇族の血を引く劉秀(後の光武帝)は、兄の起こした反乱に加わり、戦いの渦中に身を投じる。圧倒的な数の敵を破った昆陽の戦いで名を上げた劉秀だが、反乱軍は一枚岩ではない。反乱軍に身を寄せていた劉玄が更始帝となり、実質的なリーダーだった兄は殺されてしまう。愛する陰麗華との結婚を隠れ蓑にして、雌伏を続ける劉秀だが、その眼差しは天下を睨んでいた。
などと書くと劉秀中心にストーリーが進んでいるようだが、本書の時点では群雄のひとりに過ぎない。作者は乱世に現れる人々を的確に描き出す。そして多数の英雄や悪漢の中で、なぜ劉秀が天下を取ることができたのかを明らかにしようとしているのではないだろうか。この予想が当たっているのかどうか、続刊で確認したい。
蓮見恭子の『たこ焼きの岸本』(ハルキ文庫)は、大阪のたこ焼き屋のオバチャンを主人公にした人情物語である。住吉大社近くの住宅街で、亡き夫から引き継いだたこ焼き屋を営んでいる岸本十喜子。十年前に息子の颯が家を出て、生きているのかどうかも分からない。仕事のかたわら、「地域の暮らし見守り隊」をしている十喜子は、商店街のみんなと、周囲で起きる事件を解決していく。
本書は全五話で構成されており、最初の「町を見守るたこ焼き」と、次の「怒りのチーズ焼き」は、ミステリーといっていいだろう。ただし作者の眼目は事件ではなく、それを通じて露わになる、人間の悲しみだと思われる。意外とストーリーに棘が多く、チクチクとこちらの胸を刺してくるのだ。
さらに第三話「おかんの焼きうどん」で、颯が嵐という赤ん坊を連れて、いきなり帰ってきたことで、物語のトーンが変わる。息子に振り回されているうちに、十喜子は新たな人生に踏み出していくのだ。人は、幾つになっても自分を変えていける。美味しい食べ物に彩られた、いささか苦くて、とても温かいストーリーが、それを教えてくれるのだ。
栗原ちひろの『有閑貴族エリオットの幽雅な事件簿』(集英社オレンジ文庫)は、産業革命とオカルト熱が入り混じった、ヴィクトリア朝のロンドンが舞台。ある体験から幽霊を見るようになった貴族のエリオットは、元サーカス芸人の助手のボーイ(下っ端の男性使用人)、コニーを引き連れ、さまざまなオカルト事件に乗り出していく。ミイラの呪いの真相を、関係者を集めて合理的に解決する「ミイラの呪いと骨の伝言」があれば、幽霊たちの過去の悲劇を暴く「修道院の謎と愛の誓い」のような話もあり。生者と死者の間を自在に遊泳する主人公が魅力的だ。
なお、タイトルからも分かるが、本書は坂田靖子の漫画『バジル氏の優雅な生活』を意識している。漫画の登場人物を思い浮かべて、誰に相当するのか当て嵌めると、より一層、物語の興趣が増すのである。
ラストは草上仁の『7分間SF』(ハヤカワ文庫JA)にしよう。七分で読める短めの短篇十一作が収録されている。ベストは、超虚弱体質のサグド人の殺人が緊急避難に当たるかどうか、地球人の検事とサグド人の博士が話し合う「緊急避難」。異星人を利用した殺人計画というアイディアがユニークだ。しかもそこから、ストーリーは意外な方向に転がっていく。中学生の頃に読んだフレドリック・ブラウンのSF短篇集のような、センス・オブ・ワンダーが堪能できた。
とかいいながら一番のお気に入りは、「パラム氏の多忙な日常」だ。時空を超えて働く忙しいビジネスマンが、ちょっとしたトラブルを経て、妻への愛情を再確認する。こういう話に弱いのである。