『佐藤栄作 最後の密使』
書籍情報:openBD
佐藤栄作 最後の密使 日中交渉秘史 宮川徹志著
[レビュアー] 御厨貴(東京大学先端科学技術研究センター客員教授)
◆外交史の謎の男に迫る
外交史は常に外務省正規ルートだけではなく、まか不思議な人間の手によって繰り広げられることがある。元外交官、元大陸関係者などに、総理大臣クラスから突然かなりの金銭がわたり、親書を届けるなどの役割を果たす。昔ある元官僚が、外務省や総理官邸などの門前にすっくり立ったまま動かぬご老人が、いつのまにやら中に招じ入れられていく姿を見て、ああいう人がトラブルを持ち込んでは解決していくと称する人たちだよと教えてくれた。
本書の主人公・江鬮眞比古(えぐちまひこ)は、佐藤栄作政権末期、日中国交正常化へ向けて、まさに旧総理公邸を中心に、佐藤総理、西垣昭総理秘書官らと知恵を絞った人物である。『佐藤栄作日記』が出版されて以来、外務省正規ルート以外で外交に臨んだ若泉敬と江鬮眞比古は注目を浴び、若泉は自らの言動で有名になったが、江鬮は謎に包まれたままだった。
この人物と日中交渉のプロセスを明らかにしようとしたのが、著者宮川徹志である。彼は学者ではない。NHKの報道番組のプロデューサーである。このことが江鬮へのアプローチを成功させた。なぜか。謎の人物が見えてきた時、本人から証言を取らねばならぬ時、学者先生は腰が重く金もなく、その時点で挫折してしまう。著者は日本内外、中国でもどこでも人を求めて証拠を求めて、気軽に現場へ飛んでいけるのだ。まずこの点に脱帽。
それから著者はどんな資料でもまっさらな目で読み解こうとする。そこにバイアスはない。良心的ではあるのだが、常に著者との目線の共有を迫られるから一気に読み通すことはできない。せっかくの本を途中で放り出すことのないように、まずは第五章の周恩来との関わりの章から読み始め、適宜前半の章へ戻ることをお勧めする。巻末の「西垣昭日記」は、総理秘書官としての西垣が、これまた秘書官としてのけれん味のなさを発揮して書かれたものである。今どきの官僚の所作とはまったく異なりまことにすばらしい。
(吉田書店・3190円)
1970年生まれ。NHKチーフディレクター。著書『僕は沖縄を取り戻したい−異色の外交官・千葉一夫』。
◆もう1冊
天児慧(あまこさとし)、高原明生、菱田雅晴編『証言 戦後日中関係秘史』(岩波書店)