アガンベン 〈ホモ・サケル〉の思想 上村忠男著

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アガンベン 《ホモ・サケル》の思想

『アガンベン 《ホモ・サケル》の思想』

著者
上村 忠男 [著]
出版社
講談社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784065187562
発売日
2020/03/12
価格
1,650円(税込)

書籍情報:openBD

アガンベン 〈ホモ・サケル〉の思想 上村忠男著

[レビュアー] 山内志朗(倫理学者・慶応大教授)

 現代イタリアの哲学者アガンベンは激烈で難解な思考を我々にリアルに突きつける。

 彼の課題は「ホモ・サケル・プロジェクト」を完成することだ。「ホモ・サケル」とは古代ローマでの法的立場を示す。「聖なる人」という意味で、犯罪を犯してしまい、法秩序の外、例外状態に置かれた人だ。

 犯罪者であることが要点なのではない。生と死、法の内部と外部、人間的なものと非人間的なものなど、二項の対立図式が設定され、そこに暴力性、しかも合法的な暴力性が生じることが肝要だ。別々の領域を跨(また)ぎ越すところ、つまり、境界や「閾(いき)」にこそ問題がある。

 外部に立つ者は例外扱いされ、暴力を向けられやすい。誰が例外なのか、その人々の生殺与奪を決定する権限こそ主権者に属する。

 時代も状況も異なるが、例外者への暴力こそ合法的であれば巨大化しやすい。ナチズムの問題とも直結する。境界に佇(たたず)み、犠牲となっていく目撃者の話は刺激的だ。その痛ましい例が、アウシュヴィッツのガス室の人々だ。彼らは目撃者だが、自らの越境を伝えることはできない。

 境界をめぐって、暴力性が現れやすい。大事なのは、政治的なものが個人的な内面性に乱入するのを糾弾することだ。政治的なものが日常性に侵入し、それを破壊するならば政治性は挫折するしかない。

 アガンベンの議論は哲学と政治にまたがる。彼の政治的言説の背後には、西洋哲学への強い批判も込められている。古代ギリシア以来の実体論的枠組みを換骨奪胎し、スコラ哲学の密林を自由自在に闊歩(かっぽ)し、最後にはナチズムに帰結する歴史を告発するのだ。

 本書は、アガンベンの著書を数多く訳してきた上村氏が、アガンベン思想全体の流れを俯瞰(ふかん)した本だ。アガンベンの思想には毒があり、心を痺(しび)れさせる魔力がある。それは歴史が誤った方向に進むのを修正する毒であるように思う。

 ◇うえむら・ただお=1941年生まれ。東京外国語大名誉教授。専門は、学問論・思想史。

読売新聞
2020年6月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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