『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』
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見所は原作のイメージそのままの寡黙で冷静なスパイたちの姿
[レビュアー] 吉川美代子(アナウンサー・京都産業大学客員教授)
英国アカデミー賞英国作品賞受賞の傑作『裏切りのサーカス』。サーカスとは英国情報部で海外諜報活動を担当するMI6の通称である。原作は『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』。ジョン・ル・カレ作品を読んだことのない人は、スパイ物というと007のようなスパイが縦横無尽に活躍すると期待するかもしれないが、カッコいいスパイは登場しない。息詰まるような緊張感の中での諜報活動とスパイたちの内面を、抑えた筆致で重厚に描く。スカッとはしないがズシリと重たい。
東西冷戦の最中、サーカスの幹部にソ連情報部のスパイが入り込んでいるという疑惑があり、その裏切り者を探すために現役を退いていたジョージ・スマイリーが密かに呼び戻される。登場人物がかなり多く、仕事が仕事だけにみんな怪しい(笑)。私生活にも問題を抱え、人物関係も複雑。過去の諜報活動の内容、本名と暗号名も覚えなくてはならない。その上スパイ業界(!)独特の用語も頻繁に出てくる。話を理解するにはかなりの集中力が必要だ。しかし、それすら至福と思える濃密な作品である。読後の高揚感や満足感はさすがジョン・ル・カレ。寡黙で冷静沈着、やや人生に疲れた初老の英国紳士ジョージ・スマイリーのファンになる人が続出するだろう。
映画を観た時、原作の複雑な話をよくここまでわかり易い脚本にできたものだと感心したが、原作を知らずに初めて観る人は、それでも話の流れについていけないかもしれない。どんなカットも見逃さない覚悟で最低2回は観て。何回観ても飽きないと保証する。スマイリー役はゲイリー・オールドマン。原作のイメージそのものだ。一癖も二癖もある他の登場人物も全員が原作から抜け出してきたようで違和感なし。
原作は、東西冷戦時代のスパイたちの非情な戦い、孤独、葛藤、悲しみ、組織の権力争いなどを見事に描き切ったスパイ小説の金字塔ともいえる作品だが、映画はよく練られた脚本と俳優たちの名演でそれらを余すことなく、いや、さらに印象的に見せてくれる。ラスト近くのコリン・ファースの表情は今も忘れられない。