人間以外のものに目が開かれる理論物理学者のエッセイ

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人間以外のものに目が開かれる理論物理学者のエッセイ

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 若いころ、辛いことがあるとその光景をズームアウトして地球の外から眺めようとした。別に天体少女だったわけではない。そうすると自分の悩みがいかにちっぽけかがわかりホッとしたのだが、本書にも似たような効力がある。強力なウイルスが蔓延し、根拠のない状況観測や真偽のわからぬ情報に右往左往している人間社会への近視眼的な視線を解いてくれる。科学について語るエッセイのなかに、人間とは何かという問いが流れているからだ。

 幕開けの「天空編」で視線ははるか彼方に伸ばされる。宇宙の活動に不変なものはなく、一日の長さは少しずつ伸びて五〇〇億年後には一日がいまの四五日ほどになる。つまり、永遠という概念すらも私たちの意識が生み出したものなのだ。そうとわかるとむしろ一瞬一瞬がいとおしくなる。

 次の「原子編」は、二〇一一年の原発事故で一気に身近なものとなった放射能の話。その存在が明るみに出てきたとば口に真空の発見があったとは意外だ。

 現代社会を席巻する数字と確率について述べた「数理社会編」は、感染拡大の予想が数値でなされている現在、とてもリアリティがあるし、それに続く「倫理編」では、より哲学的な問いが展開され、文系の私としてはワクワクした。

「生命編」には農業と牧畜をおこなうハキリアリの話がでてくる。高度に分業化された集団を営み、地球上のあらゆる環境に適合できるという。しかもそのような厳格な社会に反乱を起こすアリがいるというのだから、驚かずにいられない。

 果たしてアリに心がないと言えるだろうか。いや、宇宙を永遠と結びつけたがるように、心という概念で物事を判定しようとする人間の欺瞞こそが問題なのではないか。

 知らぬまに人間以外のものに眼が開かれていく好著。ページを埋める図版も美しい。

新潮社 週刊新潮
2020年7月2日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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