京極夏彦七つの妖怪譚!厭な子供・厭な彼女・厭な家――日常に擦り寄る、不気味で奇っ怪い短編集『厭な小説』

レビュー

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文庫版 厭な小説

『文庫版 厭な小説』

著者
京極 夏彦 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041084458
発売日
2020/05/22
価格
880円(税込)

書籍情報:openBD

京極夏彦七つの妖怪譚!厭な子供・厭な彼女・厭な家――日常に擦り寄る、不気味で奇っ怪い短編集『厭な小説』

[レビュアー] 平山夢明(作家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。

■厭な解説  平山 夢明

 おっかしいんですよねえ、今さっき書き終えたはずなのに。何処にも残ってないんですよ。今は午前二時過ぎですけどね。一度や二度じゃないんです。正確に云えば三度目なんですよ。解説用の原稿が消えちまってるんです──パソコンの何処にもない。

 昔、実話怪談をやってた時にもよく原稿がパァになることはあったんですが、あの時はパソコンの電源がスパーンッと消えて、セーブが間に合わない。結果、原稿データを失うというのがデフォルトだったんですが、此の解説原稿はそんなのとは丸っきり違うんです。書き終えてホッと息をついて便所へ行って戻ると、消えてるんです。誰も居ませんし、触ってないんですけどね。奇っ怪な事ですよ。

 奇っ怪いと云えば著者の京極夏彦もだいぶ奇っ怪い御仁なんです。あたしは尊敬の念を込めて京ちゃんなんて呼んでますがね。全く捉えどころが無い、何を考えてるんだかわからない。一応、此方の云うことは耳に届いているようなんだしわかってる風で何を尋いても的確な答えが戻ってくる。だけど、本当にわかってるのかというとわかってない気が深々としてくる。いつも和装なんですが雲が詰まってるみたいでね、唯一はっきりしてるのは黒革の手袋だけ。奇っ怪いんです。で、本作ですが〈厭な小説〉がトリで〈厭な子供〉から始まって老人、扉、先祖、彼女、家って、其れ其れ頭に〈厭な〉が付いて七編。

〈厭な子供〉ってのは知らない童が家の中を徘徊し、家人の精神と平和をガッタガタにしていく話。可愛くも、あどけなくもない不気味な面を持った子供が我が物顔で家を侵食します。なんだか〈るう〉とか云う啼き声も奇っ怪い。

〈厭な老人〉ってのは自宅にいる要介護というか老人という弱者の立場を徹底的に利用してニタニタ笑いながら嫁の良心に寄り掛かるように家の方々で粗相をしたり、覗いたりなどの卑劣千万な行いで精神を追い詰める話。

〈厭な扉〉は運に見放された文無しの素寒貧野郎が〈永遠の幸福〉を手に入れられるらしいホテルの大博打に誘われるというもの。

〈厭な先祖〉は部下の仏壇を預かるはめになった気弱なサラリーマンが日に日に部屋で存在感を強めていく仏壇に精も根も尽き果てるほどヘロヘロに負かされ、吞み込まれていくもの。

〈厭な彼女〉は暖簾に腕押しという言葉が致死的な量にまで極まった女に取り憑かれた男が、やはり精神の崩壊の際まで追い詰められ、女という甘温くも毒の満ち満ちた沼にうまうまと没してしまうもの。

〈厭な家〉というのは家の怪談としては珍な一作で。家人の厭な体験を記憶し、其れを後で再現するという奇っ怪な話。幽霊屋敷ものとも云えない不条理感が満載でなにやら〈創造主のバグ〉を思わせるテイストが奇っ怪い。

 最後の〈厭な小説〉は、偶然手にした小説に過去の自分の体験のありのままが書かれているばかりか、活字を越えて現実世界をも侵食し、読み手でもある主人公を溶解させていく。

 と、此処まで書いておいて気がつくのは此の〈厭な小説〉というタイトルの本が実は単に予想されるような〈厭な物語〉を狙って書かれたのではないということです。各話を読んで初めてわかるのは此れは京極堂シリーズのタイトルになっている〈姑獲鳥〉だの〈鉄鼠〉だの〈絡新婦〉だのにある妖怪の話なんだということ。あちらはタイトルのみ妖怪ですが、此方は逆にタイトルは一見〈サイコホラー〉、つまり現実的な要素を扱っていると見えて実は京極夏彦が都会と現代を部品にして組み立てた妖怪譚なのではないかということ。

 現代では闇が蹴散らされ、古き良き妖怪の姿がとんと見受けられなくなり、また人の口の端に上る事も無くなったのですが、とはいえ彼らが消えたわけではないと云うことを京ちゃんはよく知っているわけで、其れに対する一種の試み──実験が此処で為されているのでしょう。

京極夏彦七つの妖怪譚!厭な子供・厭な彼女・厭な家――日常に擦り寄る、不気味...
京極夏彦七つの妖怪譚!厭な子供・厭な彼女・厭な家――日常に擦り寄る、不気味…

 って此処まで書いていて消えてしまったんですよ。何とか思い出し思い出しやっつけましたけどね。本当に妙なことなんですよ。で、書き戻しながら思い出しましたけどね、さっき消えた時にパソコンが鳴ったんですよ。でもね、本当は違うみたいなんです。だってパソコンが何の指示もせずに出すのは所詮、〈機械音〉〈電気信号音〉じゃないですか。違うんです。

 パソコンから離れてトイレに向かった時、背中越しに、確かに〈るう〉って聞こえたんです。変でしょ? 〈るう〉。そんな音、普通に暮らしていたらしませんよね。

 で、今もう早く編集部に送ってしまわないと又、消えちゃうと思うんですけれど。改めて思うに屹度、京極夏彦を読むということは斯う云う事なんでしょうね。読者は単に物語を読まされている気でも何時の間にか妖怪的な〈気配〉に服っているんですよ。だから〈るう〉になる。でも〈るう〉は厭なモノではないんです。物語では厭なモノとして描かれているけれど、物語よりよっぽど陰惨で悲劇的な現代を生きる我々にとって〈るう〉は、〈妖気〉は一種の安全地帯と云えます。理屈や効率やデータで雁字搦めになって息もつけない時、我々を救ってくれるのは科学を易々と蹴散らし、嘲笑してくれる〈るう〉と啼く彼らなのですからね。

 とどのつまり、京極夏彦は決して有り得ぬような状況を水も漏らさぬ論理展開で有り得ることと解きほぐし、衆目をアッと云わせる、其れこそが彼の醍醐味なのだ! と鼻息荒くする向きもお有りでしょうが、其れだけでは益々、京極夏彦の術中に塡まっているとしか云えないのです。彼が徹頭徹尾為そうとしているのは、劇中にこっそりと隠避秘匿させた〈真の妖気〉を人を介して社会に甦らせること。それらを満ち満ちさせた社会こそが人間性復古の要なのであるという思惑でしょう。

 だから〈この世には不思議なことなど何もない〉のです。不思議で塗り固めた世界には既に不思議が入り込む隙間がないのですから。

 妖怪魑魅魍魎のもつ自由さ、気儘さ、滑稽味、此れらを身にしっかりと服わせて暮らすこと、此れこそが人面獣心が跳梁跋扈する此の世を少しでもマシに生きていく秘訣なのでしょう。京極作品を読むと云うことの効用はとどのつまり、其処に有ると思うのです。

 あれ? また消えゃ…

▼京極夏彦『文庫版 厭な小説』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/321903000422/

KADOKAWA カドブン
2020年7月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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