古関裕而の昭和史 国民を背負った作曲家 辻田真佐憲著 文春新書
[レビュアー] 飯間浩明(国語辞典編纂者)
NHK朝ドラ「エール」の主人公のモデルにもなった昭和の大作曲家、古関裕而(こせきゆうじ)。「船頭可愛(かわ)いや」「露営の歌」「長崎の鐘」「オリンピック・マーチ」など、生涯に約5000曲とも推計される作品群を生み出しました。著者は各種の膨大な資料に基づきながら、実感的な読みやすい文章でその足跡をたどります。
実感的というのは――たとえば、古関夫婦の恋人時代の場面では、ふたりが交わした恋文を読者とともに読み、ハートマークが出てくるのも味わいます。あるいは、レコードの売れ行きをたどるため、レコード会社に残された資料を発掘し、数字を追います。資料を読者にポンと投げ出すのではなく、それがどういう意味を持つかを丁寧に論じていきます。
私の関心のひとつは、戦争中に作った軍歌について、古関はどう考えていたかということでした。当時は国民全体が軍歌を求め、流行歌の関係者もみな軍歌に携わりました。だから、古関の軍歌を否定するつもりはありません。私の好きなメロディーもたくさんあります。でも、古関自身の考えはどうだったか。
著者は、古関が「露営の歌」を「軍歌でなく戦時歌謡」と述べたことに注目します。「戦時歌謡」は戦後の用語で、当時この歌は「軍歌」と銘打って発売されました。古関のこの説明は、軍歌への戦後の風当たりを反映したと著者は見ます。ほかに古関自身「いやな歌」と述べる作品もあり、複雑な胸中がうかがわれます。
古関は戦争中、慰問団や報道班として南方に行って辛酸をなめ、また、短期間ながら召集されて横須賀海兵団に所属しました。戦争で受けた傷は浅くなく、その体験が、戦後の鎮魂歌や明るいマーチに結実したのでしょう。
なお、昨年11月刊行の刑部芳則著『古関裕而――流行作曲家と激動の昭和――』(中公新書)も、本書に劣らぬ熱量の評伝。多くの注もついた、研究書的な体裁の本です。