『少年と犬』
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飾らない一文一文を通じて犬のキャラクターが立ち上がる
[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)
一頭の犬によってつながる全6話の連作集。物語の主役は、シェパードと和犬の雑種とおぼしき“多聞”。東日本大震災の半年後、飼い主のもとから離れ、仙台のコンビニの駐車場にいるところを、ある若い男(和正)に拾われる。第1話「男と犬」の冒頭がその場面。犬はもちろん口をきかないので、人間(和正)の目から見た行動だけが描写される。
〈「乗れよ」
多聞に声をかけた。多聞は駆けてきて、助手席に飛び乗った。
「じっとしてろよ。小便なんかするんじゃないぞ」
多聞はまるでずっと前からそこにいたという顔をして、シートの上に伏せた。〉
極限まで刈り込まれた、シンプルで飾らない一文一文を通じて、多聞の凛としたキャラクターが次第にくっきり立ち上がってくる。車の中でいつも南を向いている多聞は、何を見つめているのか? 多聞を手に入れたことで人生をやり直そうと決意した和正は、その資金を稼ぐべく、危ない仕事を引き受けるが……。
作中で人間たちから、“守護神”“神様からの贈り物”“神様の遣い”などと呼ばれるとおり、多聞は助けを必要としている誰かのもとに、まるで天の恩寵のように現れ、そして去ってゆく。多聞自身も時には痩せ衰え、時には傷つき、人間に助けられるが、犬はそれ以上の救いを人間たちに与える。外国人の窃盗犯、仲をこじらせた夫婦、心を傷つけられた娼婦、癌に冒された孤独な老人、震災で声を失った少年……。
犬だけがなぜ“人間の最良の友”と言われるのか。本書を読めばその理由がなんとなく腑に落ちるかもしれない。著者は、非情な犯罪小説の旗手というだけでなく、『ソウルメイト』『雨降る森の犬』など、情感あふれる犬小説の名作を送り出してきた馳星周。本書で5年ぶり7度目(!)の直木賞候補となっているが、さて(選考会は7月15日)。