『うめももさくら』
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いびつな水脈
[レビュアー] 山下澄人(小説家・劇作家)
わたしは石田香織を前から知っている、演出家の森田雄三さんを通してだ、石田は二十歳になるかならないかの頃から森田さんと演劇を作ってきた、わたしがやっていた劇団は森田さんの元ではじまった、わたしも石田も書くことのきっかけは森田さんだった、森田さんは仕事のない俳優だったわたしに「書け」と言った、そんなことを考えたこともなかったからわたしはとても驚いた、石田もそうだ、石田もおそらく自分が書くなんて「書け」と言われるまで考えたこともなかったもののはずだ、書くなんて考えもしない人間はいるのだ。
森田さんは2018年に死んだ、この本は森田さんが死んでから書かれた、それまで石田は森田さんと二人三脚で書いていた、石田の処女作は森田さんが自費出版していたものだ。森田さんはとにかく熱心に石田の書いたものを読んだ、読んで細かく意見した、森田さんは人間なら誰にだって創作の水脈があると信じていた、そしてひとりになるなよ思いつめたっていいことなんかひとつもないぞといつもいっていた、石田は森田さんからのだめだしに二人の子どもを育てながらのわずかな時間の全部を使ってこたえて書いた。
森田さんには損得がなかったし、げんにそうして書かれたもののどこにも森田さんの名前は入っていない、そんな森田さんの存在に石田は何一つ疑いを持っていなかった、稀有な関係だ。小説はひとりで書かなきゃいけないなんて決まりはない、こころざしを同じにする奇跡的な関係が他者と築けるのなら二人だろうと三人だろうといくつもの頭とからだで書かれたっていいはずだ、森田さんが演劇で行おうとしたことはまさにそれだった、
「誰が考えたのかとかどうでもいいじゃねぇか」
しかし森田さんは死んだ、それでもその後も森田さんのまわりにいたひとたちが石田に手を差し伸べた、森田さんの不在に怯えていた石田にそれがどれだけ心強かったことだろう。
奇妙ないびつが『うめももさくら』にはいくつもある、例えば二人の子の父となる佐々木君。主人公のママは飲み屋でたまたま佐々木君と出会い(16ページ)、好きだ嫌いだとかないまま結ばれて(22ページ)、妊娠する(23ページ)、物語の重要なポイントであろう箇所がたった7ページ足らずで描かれている、ママは二人目も妊娠する、しかしそこで佐々木君はいなくなる、近くにはいる、テントに住んでいる、スナフキンみたいなひとだから、と中で言われている。そこがわたしにはいびつだ、しかしもしかしたらそのいびつにこそありありとした具体があるのかもしれない、
「だってそういうことあるじゃん」
具体があるがゆえに説明はしない、二人の子育ては丁寧にあれこれ書かれるのに、書き飛ばされるところは驚くほどあっさりと書き飛ばされる、そのいびつ、それはまさに人間の時間だ。