『ペスト』改メ通し狂言『黒死病連中阿爾及』

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ペスト

『ペスト』

著者
カミュ [著]/宮崎嶺雄 [訳]
出版社
新潮社
ISBN
9784102114032
発売日
1969/10/30
価格
825円(税込)

『ペスト』改メ通し狂言『黒死病連中阿爾及』

[レビュアー] 仲野徹(生命科学者・大阪大教授)

仲野徹・評「『ペスト』改メ通し狂言『黒死病連中阿爾及』」

 爆発的に売れていると聞いて『ペスト』を読んだ。あらすじを追えたくらいだったが、いちばん興味を惹かれたのは、アルジェリアのオランで都市封鎖された人々が享楽に耽ったというところ。緊急事態宣言の日本とは真逆やないの。それから、タイトルはペストなのに、「リンパ腺腫を切開」などという記述はあるものの、症状や感染経路など、病気そのものの記述が少なかったことが意外だった。

 肺ペストは飛沫感染もあるが、腺ペストはノミや感染した人の体液による。新型コロナウイルスとの感染経路の違いが行動に大きな違いを与えたのだ。新型コロナは不顕性感染の率も高そうで、享楽など決して許してはくれない。

 ペストと聞いてまず誰を思い浮かべるか。ほとんどの人はカミュだろう。だが、私は違う。北里柴三郎だ。19世紀末に香港でペストが大流行した時、日本政府は6名の調査団を派遣する。その二大巨頭は北里と帝国大学医科大学(現在の東大医学部)教授の青山胤通(たねみち)。世界の北里と帝大の青山、超大物二人を派遣した政府の本気度がすごい。

 ペストの恐ろしさは並大抵ではない。生きて還れぬかもしれないと決意して参加した青山は、病理解剖でペストに感染してしまい、文字通りに死線をさまよう。それを知った北里のパトロンであった福沢諭吉は、北里を殺してはならないと帰国を促す電報を打つ。しかし、北里は応ぜず、青山が回復するまで治療にあたった。えらいぞ北里!

 でも、ペスト菌の同定では、北里らしからぬ「お手つき」をしてしまい、その業績をフランス人研究者イェルサンにさらわれてしまったんよなぁ。とか、本の内容にいまいち集中できなくて、こんなことばかりが頭に浮かんだ。

 で、そんな状態やったのに、魔がさして、不朽の名著についての依頼(この原稿です)を引き受けてしまった。再読したが、やっぱり難しい。ちょっとずるいけどNHKの「100分de名著」を参考にさせてもらうことに。

 ふたつの大きなヒントがあった。ひとつは、病気そのものが不条理であるという中条省平さんのお話。そうなのか、病気は不条理なのか。なまじ病理学などを知っているから、理屈ばかりが先走る。感染症でもなんでも、病気に罹るかどうかには運不運がある。しかし、不条理などとは思いも寄らなかった。アホやった。カミュといえば不条理やん。

 もうひとつは、ゲストで登場された内田樹先生が、カミュが大好きだと子どものように嬉しそうに語られた内容。カミュの作品の素晴らしさは、「ためらい」と「身体性の高さ」にあるという。不条理、ためらい、身体性という三本の補助線に助けられながら、三度目の挑戦。

 やはり不条理感はあまり持てなかったが、不思議なことにペストはどんどん遠景になっていった。それにかわって、別離の物語であるということが心に沁みてきた。わかる人には一度でわかるんだろうが、「100分de名著」でカンニングして三回読んでようやくわかった。親子、友人、夫婦、恋人、さまざまな別離が重要なテーマであると。

 いきなりだが、別離といえば「仮名手本忠臣蔵」である。この狂言がうけ続ける理由はいくつもあるけれど、橋本治さんの『浄瑠璃を読もう』によると、ありとあらゆる別離が描かれているからこそだという。そういえば、この小説も別離を描いた浄瑠璃文楽の通し狂言みたいではないか。

 通し狂言では、理解しやすい段としにくい段、明るい段と暗い段、などが巧みに組み合わされている。それと同じように段分けしてみたらえらくよろしい。

 ネズミの死骸が次々見つかるホラーのような冒頭「鼠屍体怪(あやし)の段」(←勝手に命名、以下同じ)などは身体性が高くてわかりやすい。「神父煩悶の段」での主人公リウーの思考などはためらいに満ちている。他、「黒死病猖獗の段」、「保健隊結成の段」、「病都解放の段」などなど。

 橋本さんの本には、浄瑠璃話はわからなくともあるがままに受け入れるべしともある。そうなんや。『ペスト』も、ようわからんところは、そうしておいたらええんや。

 もう一点、仮名手本といえば、浪士たちの連帯の物語である。『ペスト』も同じく、リウーと周囲の人々が連帯し、命がけで疫病に立ち向かうのがメインストーリーだ。すれば、さしずめ高師直がペストといったところか。不条理の源は違えど、いずれも別離と連帯の大長編と結論した。

 で、四回目。は、まだです……。しかし、さすがは古典中の古典だ。思い起こせば、一回目より二回目、二回目よりも三回目がはるかに面白かった。難解、暗い、不条理と嫌がらずに繰り返し接しているうちに、どんどん面白みが増してくる。これも文楽と同じやんか。と、ひとりで納得。

新潮社 波
2020年6月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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