ヘイトに出会ったユダヤ人少年は「憎む人」をどのように赦したのか

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おお、あなた方人間、兄弟たちよ

『おお、あなた方人間、兄弟たちよ』

著者
アルベール・コーエン [著]/紋田廣子 [訳]
出版社
国書刊行会
ジャンル
文学/外国文学小説
ISBN
9784336066534
発売日
2020/06/25
価格
3,740円(税込)

書籍情報:openBD

ヘイトに出会ったユダヤ人少年は「憎む人」をどのように赦したのか

[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)

 ヘイトがまかり通る国。それが今の日本だ。ネトウヨと呼ばれる匿名の連中が、韓国人や中国人、在日外国人に対する酷い誹謗中傷を垂れ流すばかりではない。著名な作家やタレント、国会議員までもが差別的な言葉を発し、反論してくる人には「イヤなら日本から出て行け」と返す。

 一九〇五年、十回目の誕生日を迎えた一人の少年が万能染み抜き剤を売っている香具師(やし)の男から、「おい、お前、ユダ公だろうが、え?」と言われる。五歳の時、両親と共にギリシアのコルフ島からマルセイユに移住したゆえにフランス語が拙(つたな)い自分とはちがって、才気溢れる軽口まじりの売り文句を飛ばす香具師の語り口に惚れ惚れし、誕生祝いにもらったお小遣いで染み抜き剤を買おうとまでしていた少年は、「お前は汚いユダ公だろう、なあ、そうだろう、え?」「ここはお前の国じゃねえんだよ」と、大勢の見物人の前で延々罵声を浴びせられる。周りの大人は誰一人かばってくれやしない。

 少年の名は、第二次世界大戦時にはユダヤ人救済の活動に身を投じた、一八九五年生まれの物故作家アルベール・コーエン。『おお、あなた方人間、兄弟たちよ』は、年老いたコーエンが〈死すべく定められている私の兄弟である憎む人をたった一人でもいい、変えられるなら〉という気持ちで執筆した本なのだ。

 他者の善意を信じ、愛し愛されたいと願っていた愛想のいい快活な少年が、香具師の罵詈雑言と周囲の無関心に打ちのめされ、町を彷徨する。自分や両親は「汚い」のだろうか、生まれてきてはいけなかったのだろうか。七十の短い断章で成立しているこの本の中で、少年は自問自答を繰り返す。ヘイトという〈心に生えている犬歯〉をむき出しにする人に、この少年があなた方をどんな風に〈赦(ゆる)す〉のか、実際に読んで知っていただきたい。その言葉の前で頭を垂れないような輩は、もう人間ではないと、わたしは思う。

新潮社 週刊新潮
2020年7月30日風待月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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