『まかちょーけ 興南 甲子園春夏連覇のその後』松永多佳倫 刊行記念エッセイ 「人生こそ“なんくるならない”」

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まかちょーけ 興南 甲子園春夏連覇のその後

『まかちょーけ 興南 甲子園春夏連覇のその後』

著者
松永 多佳倫 [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784087441413
発売日
2020/07/17
価格
748円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『まかちょーけ 興南 甲子園春夏連覇のその後』松永多佳倫 刊行記念エッセイ 「人生こそ“なんくるならない”」

[レビュアー] 松永多佳倫(作家)

人生こそ“なんくるならない”

“なんくるならない”
 沖縄に移住して、初めて聞いた言葉だった。
“なんくるないさー”の反対語で、興南(こうなん)高校野球部の我喜屋優(がきやまさる)監督がよく取材で、沖縄の子どもたちの欠点を指摘する際に使う言葉でもある。
 沖縄だからといって、なんでもなんくるないさーなわけがない。おじさんで色黒の僕は公園でベンチに座りながら遊んでいる子どもをただ見ているだけで警察を呼ばれるし、日本人なのに買い物でレジに行くと店員に「日本語は話せますか? 」と聞かれるし……、この世はなんくるならないことばかりだ。
 熱い思いがあればなんとかなる、と松岡修造ばりのスタンスで今まで仕事をやってきた。今回の書き下ろし文庫『まかちょーけ 興南 甲子園春夏連覇のその後』に関しても、“なんくるないさー”というより絶対に“なんくるなる”と思った。
 通常、こういった類のノンフィクション本の企画が成立する場合、取材対象者と関係が深かったり、ライフワークのように追いかけている題材だったりするなど確固たる基軸があるものだが、今回はそんなものは皆無に等しかった。ただ、どうしても興南の二〇一〇年春夏連覇メンバーのその後を追いかけてみたいというバカみたいに熱い思いがあるだけだった。とにかく僕自身がスポーツバカだけに、何の疑問も持たずに猪突猛進でやったことが、なんくるなっただけなのかもしれない。
 本書を書くにあたって、根元的なことを考えてみた。
“スポーツとはなんぞや”。
 学生時代にスポーツをやる意義を問われれば、いろいろな思いが巡ることだろう。強靱な肉体としなやかな精神を鍛える場、団体行動による秩序、礼儀礼節を身につける、勝利への渇望意欲を養う……どれも間違ってはいない。人生においてすべて不可欠であり、確かにスポーツからそれらを学ぶことができる。
 僕が思うに、スポーツから学ぶ最も重要なことは“理不尽さ”だ。古今東西、先輩からの無理難題な強要は、理不尽極まりない。体育会系の部活に入った者であれば一度は感じたことだろう。越境入学させるほどの強豪校であれば、先輩からの理不尽な命令が絶え間なく下される。かつては、この理不尽に耐えることがレギュラー入りへの道とも言われていた。
 僕が言う“理不尽さ”とは、先輩からの体育会特有の命令以外にもある。どんなに努力をしても絶対に勝てない相手に対峙した時や、または大人の勝手な都合でレギュラーから外された時をも指す。
“努力をすれば夢は叶う”。美しい格言かのように多くの人に幼き頃から刷り込まれている言葉だ。確かに努力は必要だ。ただ実際にはそれ以外の運やタイミング、出会いといった不確定要素が人生を大きく左右する場合がほとんどである。理論や理屈で片付けられない部分によって人生は浮き沈みする。だから人生は思いがけないドラマが起こるのだ。
 社会に出る前に、これから直面する人生の厳しさを教えるためにスポーツがあると思っている。努力だけでは目標に到達できないものがある。その最たるものがスポーツである。
 そう考えると、文章を書くことも努力だけでは“なんくるならない”部分がある。小説やノンフィクションは、テーマはもちろんだが、著者の思いがどう表現されているかが重要だ。ここに文章の上手い下手が如実に出る。
 僕にとって文章を書くことはスポーツと同じで、“厳しさ”をいつも教えてくれるものだ。編集者が原稿を校正するときに赤ペンで修正することを“赤入れ”と言うのだが、僕の原稿はいついかなるときも真っ赤っかだ。もちろん、すべて納得の赤だ。ほとんどの部分に赤入れされている原稿は、まるで芸術作品のように見える。惚れ惚れする美しさ。とはいえ、最初の頃は赤入れの原稿を見た瞬間は、いつも奇声をあげていた。「うぎゃあああああああーー」と、色黒のおじさんが吠える。端から見たら妖怪の誕生シーンだ。
 赤入れは野球でいうノックと同じ。これでもかと赤入れ原稿がやってくる。僕は文章が下手なのではない。ただ上手く書けないだけだ。そんな僕の原稿に赤入れする編集者の労力は相当なもので、まったくもって頭が下がる思いだ。
 かつて、まったく赤入れせずに「書き直し」とだけ書いたメールを送ってくる編集者がいた。何回直しても具体的な指示もなくただ書き直しと言われるだけ。ある時、9回目の直しがあまりに早くきたものだから、少し時間を置いて何も直さずに原稿を送り返してやった。しばらくすると、「だいぶ良くなった」と返答が来た。おい、見てねーじゃんかよ、と思わずモンゴリアンチョップを叩き込みたくなった。
 とにかく僕の担当編集者の赤入れはアートだ。今では赤入れ原稿が戻ってくると、うっとりしてしまう。でも、本書の担当編集者はきっとこう思っていることだろう。
「『まかちょーけ』はせっかくいい出来で仕上がったのに、このエッセイは相変わらずとっちらかってるな。なんともならねーな! 」

松永多佳倫
まつなが・たかりん
1968年岐阜県生まれ。琉球大学法文学部卒業。出版社勤務を経て、沖縄を拠点に執筆活動に入る。現在、琉球大学大学院人文社会科学研究科在学中。著書に『偏差値70の甲子園 僕たちは文武両道で東大も目指す』『沖縄を変えた男』等多数。

青春と読書
2020年8月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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