『徹夜の塊3 世界文学論』
書籍情報:openBD
世界文学論 沼野充義著 作品社
[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)
昭和時代の家庭の本棚には、名作を集大成した世界文学全集が鎮座していた。全巻読破すれば教養人になれると皆が信じていたのだ。時は移り、規範は変化して、世界文学とは名作リストではなく、「世界の多様な文学に向き合う自分なりの読み方」であると理解すべき時代になった。
700ページを越える本書の著者は国際シンポジウムの開催、翻訳プロジェクトの推進、文芸時評の執筆などを通じて、「世界文学」をとらえなおす潮流の先頭に立ってきたひと。長年の経験から強調されるのは翻訳の重要性である。
著者はまた、外国語への翻訳によって広範な読者を獲得してきた村上春樹の作品をひんぱんに取り上げる。異言語・異文化のコンテクストがさまざまに交差する場面で、日本発の世界文学がどのように受容されているかを報告する文章は、越境する文学に新たな光を当てる。
著者は1989年9月、ソ連や東欧の詩を英訳で精力的に読んでいたアイルランドの詩人シェイマス・ヒーニーについて論文を書いた。ベルリンの壁が崩壊する直前、ヒーニーがノーベル文学賞を受ける6年前のこの時期に、ヨーロッパの東西から出た詩が響き合い、「異郷の詩」がヒーニーの詩作を通じて英語を豊かにしていることをいちはやく見抜いていた。
時空を隔てた文学へのアクセスを可能にするのは翻訳であり、古典が新訳されれば新たな価値が生まれる。9・11や3・11のときと同様、コロナ禍のさなかに文学作品の読み替えが起こりつつある今、翻訳が持つ意味はきわめて大きい。
本書の文学論が共有するのは「往復運動」のレトリックである。二者択一的に裁断する代わりに、相対するものを動的に均衡させ、多様性を包容する価値観が通底している。著者はカフカを語りながら、20世紀文学全体を遊園地にたとえ、「好きなアトラクションだけを思う存分」楽しんでいいのだと語る。文学へのゾクゾクするような愛がぼくたちの内面にも湧き上がってくる。