子どもだって悩んで、もがいて、生きている。芦沢央の最新作は、「いま」を生きる少年たちの切実な物語――『僕の神さま』

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僕の神さま

『僕の神さま』

著者
芦沢 央 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041097786
発売日
2020/08/19
価格
1,760円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

子どもだって悩んで、もがいて、生きている。芦沢央の最新作は、「いま」を生きる少年たちの切実な物語――『僕の神さま』

[レビュアー] 内田剛(ブックジャーナリスト・本屋大賞理事)

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(評者:内田 剛 / ブックジャーナリスト)

 冒頭からラストまで一気読みの充足感を味わえた。これは面白い。絶妙なタイトルから思わず手にしてしまう読者も多いだろう。「僕」とあるから少年たちの話であることは容易に想像できるが、「神さま」とは何だろうかと興味を持たせる。「牛乳を取ろうとした手の甲に、何かが当たった。」サプライズで始まる導入部分から圧倒的に読みやすい。瓶からこぼれてしまった桜の塩漬けから広がる春の香りも芳しい。懐かしき小学生時代。教室、校舎、先生、友達……セピア色の記憶が鮮やかに蘇る。誰もが経験したあの頃が空気感から匂いにいたるまでリアルに再現されている。『第三話 作戦会議は秋の秘密』では運動会の騎馬戦の必勝法、『第四話 冬に真実は伝えない』では図書室の本に書かれていたメッセージが鍵となる。読みながら忘れていた思い出の数々が走馬灯のように頭の中を駆け巡る。どこにでもいそうな普通の男の子である「僕」も、聞けば何でも知っている大人びた水谷くんのような「神さま」も確かに教室にいた。この豊かな描写力が物語に大いなる説得力を与えているのだ。

 苦しいのは大人だけではない。子どもたちだって悩みながら生きている。無邪気に見えてももがきながら生きている。目に前に現れた説明のつかない壁を知り、自分の力で乗り越える事を「成長」と呼ぶのだろう。身近な「死」と対峙することによって確かな「生」を意識する。鮮烈にして密度の濃い一年間。親や先生の言うことがわからない。理不尽な大人のルールを垣間見ながら学び続け、背伸びをしながらも真っ直ぐに突き進む冒険の日々。「ずっと」や「いつまでも」ということはあり得ない。永遠という時間は存在しないのだと知って子どもたちは大人の世界への扉を開くのかもしれない。登場人物たちの瑞々しい成長の日々もまた読みどころの一つだ。

 のめり込ませるテクニック。みんなの「神さま」水谷くんの謎解きも冴え渡り、上質なミステリー作品としても存分に楽しませてくれる。『第一話 春の作り方』は亡くなった祖母を大事に想い続ける祖父と、拾った仔猫を慈しむ物語。穏やかな春の陽気の中で、読めば情感たっぷりのハートフルな味わいも伝わり、『僕の神さま』は癒やしの要素が強い一冊なのかと思わせる。そうやってグッと読み手のハードルを下げておきながら、一転して緊迫した空気に満ちた『第二話 夏の「自由」研究』で、そうではないと気づかされる。クラスメイトの絵が得意な女の子、川上さんの様子がおかしい。大人の力を借りて、パチンコ通いをしている父親から川上さんを救い出そうとする話だ。物語の後半には「川上さんって子、親に殺されたらしいよ」といったようなドキッとするフレーズも登場する。他にも不安を煽るようなシーンも多い。光があれば影もある。出会いがあれば別れもある。悲しみがあるから喜びもある。優しさがあれば残酷さもある。信頼があれば疑いだってある。決してきれいごとばかりではない。むき出しの少年時代が繰り広げられる。ここに艱難辛苦を刻みつけたような人生の縮図が見えてくるのだ。

子どもだって悩んで、もがいて、生きている。芦沢央の最新作は、「いま」を生き...
子どもだって悩んで、もがいて、生きている。芦沢央の最新作は、「いま」を生き…

 感情を抑えた透明でクールな筆遣いもまた印象深い。語りすぎないがためにより一層、言葉の重みが際立つのだ。言葉にならない声が聞こえてくる。言葉の隙間、余白の部分である行間が非常に雄弁なのだ。静寂の中でも思いは電流のように心に響く。物語の軸となる「僕」と「神さま」の関係性にも注目したい。あだ名が「神さま」の水谷くんを「僕」は「神さま」とは呼ばない。その距離感が絶妙だ。絶大な信頼があっても全面的に気を許していないような、どことなく薄皮が一枚挟まったようなイメージである。臆病過ぎる「僕」の性格とすべての物事を客観視する水谷くんの視線によるものだが、ここから感じられるのは不信に満ちた現代社会全体の空気だ。格差社会、貧困問題、家庭内虐待といった時代が生み出した病理もこの物語は内包しており、作品全体にも深い影を落としている。社会派の側面も見せるから本当に油断がならないのだ。『僕の神さま』にはまさに切実な「いま」が描かれている。

 見事な構成にも目を見張る。春夏秋冬の順に物語は進んでいく。季節は一巡して再びの春で物語は閉じられるが、この最終章『エピローグ 春休みの答え合わせ』は非常に強い存在意義がある。第二章に出てきた川上さんの事件の真相が明らかになるのだ。パズルの最後のピースをはめこんだような快感だ。しかしパズルは完成しても物語は終わらない。「神さま」は身近に存在している。けれども決して絶対的ではない。想像の中で膨らんだ「神さま」像が揺らめいて、心にさざなみが立つのだ。結局、「神さま」を創造しているのは自分自身でもある。「神さま」という名の何者かを畏れて萎縮していた個性にも気づき、本当の意味での自我の目覚めが現れてくる。現実は美しくもあれば醜くもある。でも決して目を背けてはならない。自分の目で真実を見つめなければならないのだ。この意識で改めて第一話から読み返せばまったく違った色合いで物語が動き出す。受け取り方は人それぞれであろう。深読みするほどに味が出る。そして読み手に委ねられた解釈を「答え合わせ」してみたくなる。いい作品は読後に語り合いたくなるのだ。この素晴らしき読後の余韻をいつまでも味わい続けたい。

 さすがは芦沢央だ。『罪の余白』でデビューして8年。着実にヒットを飛ばし続け、その人気は確固たるものとなった。本作の充実ぶりがそれを如実に物語っているように、引き出しの多さと作品の内容の深さは中堅作家の中でも群を抜いている。『僕の神さま』は芦沢文学の代表作とも、作家が到達した頂点ともいえよう。

 間違いなくこの作家はこれからも長く活躍し続けて、とてつもなく大きな仕事を成し遂げるであろう。華々しい未来は開けていると確信している。直近の作品群の質も極めて高く、筆力の漲りも凄い。最も注目すべき作家であると言っても過言ではない。この世の常識を反転させるようなパワーはますます研ぎ澄まされている。これからどんなテーマと切り口で「いま」を切り取り続けていくのか、高い期待を持って新作を待とう。本当の「神さま」は芦沢作品の中にいる。

▼芦沢央『僕の神さま』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322004000165/

KADOKAWA カドブン
2020年8月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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