【聞きたい。】田中ひかるさん『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』

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【聞きたい。】田中ひかるさん『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』

[文] 三保谷浩輝


田中ひかるさん

■すがすがしい人生に力もらう

 「女医第一号の荻野吟子さんが有名すぎてかすんじゃったのか、瑞(みず)さんのことはほとんど知られていない。でも、調べてみると、貧しく苦労しながらも、たくましく、勇ましく、とにかく痛快な人生なんです」

 明治期の医術開業試験に合格した、女性で3人目の医師、高橋瑞(1852~1927年)の生涯をたどるノンフィクション・ノベル。吟子や2人目の女医、生澤久野(いくさわ・くの)ら、それまで女性が受けられなかった試験の門戸をともにこじ開けた人々も魅力的だが、なかでも瑞は異彩を放つ。

 江戸末期に生まれ、学問を志しながら結婚するが、暴力的な夫のもとを逃れ助産婦の弟子に。この間の経験から「妊産婦や子供を救う医者になりたい」と決意し、女性の開業試験受験や予備校入学、病院実習を求め責任者に直談判して道を切り開く。助産婦や内職の稼ぎ、布団まで売って得た金で勉強し、吟子に2年遅れて明治20(1887)年、34歳で試験に合格した。

 「寝ない、食べない、見た目も気にしない…。やりたいことのためなら、なりふり構わないところがすごい。瑞さんは性別や年齢であきらめちゃもったいないと教えてくれた。直談判もこんなに使えるんだとも」

 東京・日本橋で開業後も豪放で男物の羽織袴(はかま)姿で診療する「男装の女医」として、37歳のときには単身、私費でドイツ留学をするなど話題に。帰国後再開した医院では「産科に限り貧窮者無償施療」を貫き、困窮学生の支援や、後進のために「死んだあと、骨格標本に」と遺体、骨の提供を申し出るなど身をささげた。

 「当時は今より寿命が短かったぶん、本当にやりたいことを絞った。その目標に向かって一生懸命になる人生はすがすがしく、それを知るだけで力がもらえる。現代人は忙しそうに見えて時間を無駄にしている気がします。私も残りの人生、本当にやるべきことに力を注ぎたいですね」(中央公論新社・1800円+税)

 三保谷浩輝

   ◇

【プロフィル】田中ひかる

 たなか・ひかる 昭和45年、東京都生まれ。横浜国立大学大学院環境情報学府博士課程で社会学を専攻。女性に関するテーマを中心に執筆・講演。著書に『生理用品の社会史』など。

産経新聞
2020年8月16日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

産経新聞社

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