ジャンプの大ヒット漫画『約束のネバーランド』はイギリス児童文学と深く結びついている、だけじゃない!

エッセイ

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ジャンプの大ヒット漫画『約束のネバーランド』はイギリス児童文学と深く結びついている、だけじゃない!

[レビュアー] 戸田慧(広島女学院大学人文学部国際英語学科准教授)

はてしないネバーランド

 漫画『約束のネバーランド』と初めて出会った時のことは今でも忘れません。幸福そうで、しかしどこか不穏な孤児院の風景から始まるこの物語は、「週刊少年ジャンプ」の中で最初から異彩を放っていました。謎めいた雰囲気に誘われ、あれこれと展開を想像しながら読み進めたものの、第一話を読み終える頃には私の予想はものの見事にひっくり返されました。私は登場人物であるエマやノーマンたちと一緒に息を呑み、驚き、そしてまったく見たことのない物語が始まった興奮でいっぱいになっていました。
 いえ、正確に言うと、「まったく見たことのない物語」ではありません。『約束のネバーランド』の中には、実はさまざまな別の物語が隠れていると思われるのです。第一話でエマとノーマンを物語の核心へと導き、彼女らを恐るべき冒険の世界へ連れ出すのは、少女コニーが持っていたぬいぐるみのウサギ、リトル・バーニーです。この「ウサギを追って冒険の世界へ」、という物語の始まりは、イギリス児童文学の古典、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の冒頭である、少女アリスが懐中時計を持った奇妙なウサギを追ってウサギ穴に落っこちて、不思議の国に迷い込む情景を思わせます(しかも念の入ったことに、リトル・バーニーは小さな時計のついた蝶ネクタイをつけているのです! )。
 タイトルの「ネバーランド」という言葉も、もう一つの有名なイギリス児童文学と深く結びついています。永遠に大人にならない空飛ぶ少年の物語、ジェイムス・バリーの『ピーター・パン』では、子供たちがずっと子供のままでいられる楽園を「ネバーランド」と呼んでいます。そこは子供たちにとって、「大人になる」という責務から逃れられる夢の世界のはずですが、『約束のネバーランド』ではこの「ネバーランド」という言葉はアイロニカルな意味を持ち、「子供たちが大人になれない世界」を意味することがやがて明らかになります。
 さらに連載が進むうちに、『約束のネバーランド』には文学だけでなく、現実世界の社会階級、文化、宗教と深い結びつきを持った物語設定やキャラクターが次々と現れてくるように思われました。
 もう我慢できない。じっとしていられない。まさに、この『約束のネバーランド』は隠された意味と象徴に満ちた、漫画という新しい文学だ! そう思ってこの本の原稿を書き始めました。その時には、まだ『約束のネバーランド』は連載の半ばであり、これからどんな展開を見せるのかも分かりませんでした。今まさにリアルタイムで紡がれていく物語を読み、解釈することは、これまですでに亡くなった作家の小説を研究してきた私にとって、とても新鮮であり、日々がわくわくと楽しみに満ちたものとなりました。
 この楽しみは、恐らく『約束のネバーランド』を読む人の多くが感じた喜びではないでしょうか。最初は何の気なしに読み進めていた場面が、実は大きな意味を持つことに気づいた時。はっきりと解明されない謎について、あれやこれやと頭をひねり、その答えに近づくヒントを見つけた時。そして積み上げて来た予想や推測が、あっという間に打ち崩され、新しい世界が幕を開けた時。そんな時にたまらなくわくわくするのです。
『約束のネバーランド』には読者を受け身ではなく、前のめりにさせる力があるように感じます。登場人物たちの心の動きや、語られない想い、敵であるはずの「鬼」たちの個性や価値観、それを作り出す文化や宗教。そういったものに思いを巡らせながら読むことができる『約束のネバーランド』は、単なるエンターテインメントを超えた、語り尽くされることのない物語の深みを備えた「文学」なのではないか、と私は思うのです。
 拙著『英米文学者と読む「約束のネバーランド」』は、文学作品を読むように『約束のネバーランド』を解釈したらどんなふうに読み解くことができるかを、英米文学、文化、宗教についての基礎的な知識と共に紹介した本です。私の『約束のネバーランド』への愛をぎゅうぎゅうに詰め込んだ考察を行ったつもりですが、とはいえ、あくまで一人の読者による考察に過ぎないので、作者の先生方の意図とはまったく違うこともあるでしょうし、他の読者の解釈と異なることもあるでしょう。それでも、「解釈は無限に存在する」と言えるのが、文学研究のいいところなのです(笑)。十人十色の解釈が可能であることもまた、この漫画の複雑さと懐(ふところ)の深さの証であるようにも思えます。
 このエッセイが掲載される頃には、『約束のネバーランド』は完結を迎えており、「『約ネバ』ロス」に陥っている方もいるかもしれません(きっと私がそう! )。しかし、ミヒャエル・エンデの『はてしない物語』のように、『約束のネバーランド』もまた、読むたびに違う姿を見せ、はてしない冒険に我々を誘いざなってくれることでしょう。漫画が完結した後も、拙著をかたわらに置いて再び第一巻から読み返したいと思ってもらえたら、これ以上の喜びはありません。

戸田 慧
とだ・けい
広島女学院大学人文学部国際英語学科准教授。同志社大学文学部卒業、関西学院大学大学院文学研究科博士課程後期課程修了(文学博士)。専門はアメリカ文学。共著書は『アメリカン・ロード―光と影のネットワーク』『ヘミングウェイと老い』『アーネスト・ヘミングウェイ:21世紀から読む作家の地平』等。

青春と読書
2020年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

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