「遊廓」に立つ娼家の建築様式について、国際日本文化研究センター所長が語る

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遊廓

『遊廓』

著者
渡辺, 豪, 1977-
出版社
新潮社
ISBN
9784106022944
価格
2,200円(税込)

書籍情報:openBD

『遊廓』に見る数奇屋とアール・デコ

[レビュアー] 井上章一(風俗史研究者・国際日本文化研究センター所長)


渡辺豪『遊廓』より

井上章一・評「『遊廓』に見る数奇屋とアール・デコ」

遊廓専門の出版社「カストリ出版」を創業した渡辺豪が、全国の遊廓跡・赤線跡およそ500箇所を巡り、消えゆく娼街、娼家140景を収載した写真集『遊廓』を刊行。本作を受けて、国際日本文化研究センター所長で建築史家の井上章一さんが、娼家の建築様式について語った。

 ***


渡辺豪『遊廓』より

 一般の家屋、屋敷とは趣のことなる建築がかつての遊里にはたっていた。いわゆる娼館が粋な、悪く言えばあくどい構えを、見せつける。分類をすれば数奇屋風と言うしかない姿で、異彩をはなっていたのである。

 こうきりだすと、少なからぬ建築学の研究者はいやな顔をする。数奇屋の意匠は、江戸時代のはじめごろに、茶室のしつらえをつうじて、ととのえられた。桂離宮のデザインにその典型例はある。色街の建築などで、数奇屋を論じるのはやめてほしい、と。

 一七世紀前半の茶室づくりが、この形式をはぐくんだことはたしかである。桂離宮や修学院離宮をはじめとする別荘で、それが集大成されたのもまちがいない。

 しかし、数奇屋の細工は、ほぼ同時代の京都にいとなまれた角屋(すみや)でも、うかがえる。桂や修学院より、いっそう数奇の度合いをこらしたありかたで、今もたっている。ねんのためしるすが、角屋は島原という遊廓にもうけられた、いわゆる揚屋(あげや)である。遊里や花街では、京都以外の場所でも、ながらくここが建築の手本だとされてきた。

 数奇屋は、好き心(数奇心)をいかした造作である。樹皮がはがされていない材を、床柱につかう。床壁の一部をくずし、わざわざ穴をあけ、下地の小舞が見えるようにしてしまう。今、想いつくままに例示したが、とにかく遊戯的なしつらえをさしている。

 おりめただしい施設では、つかわない。茶室や別荘といった、遊びの場で好まれる、建築的なおしゃれに、それはなっていた。ジーパンにあざとく穴をあけたような装いが、服飾面での類例にあげられようか。


渡辺豪『遊廓』より

 もともとは、逸脱をもとめた意匠であった。しかし、時代が下るにしたがい、その形は形骸化を余儀なくされる。くずした形が、そのまま継承すべき手本になりだした。とりわけ、茶室でその傾向はいちじるしい。家元制度の下で、茶の湯じたいが形式主義にとらわれはじめたせいだろうか。

 遊里や花街の数奇屋造りが江戸中期以後、どう推移していったのかは、よくわからない。ただ、明治以後になっても変化の歩みをとめなかったことは、うけあえる。

 じっさい、そこにはしばしば中華風が加味された。西洋的な建築手法も、とりいれられている。たとえば、階段を舞台のようにもうけた例がある。踊り場にたたずむ遊女を、ひきたてようとしたのだろうか。

 あちらの流行も、日本の遊廓建築にはつたわっている。一九二〇年代からは、アール・デコの意匠が、数奇屋のそれにとけこまされたりもした。そして、両者をまぜあわせたような表現なら、まだいくつか実例ものこっている。茶室の場合とちがい、新奇をもとめる志が、風俗施設では生きつづけたのだと考える。


渡辺豪『遊廓』より

 さて、今は鉄筋コンクリートの時代である。男たちを遊ばせるための建物も、その大半はこの現代的な構造でたてられる。たとえば、ホステスクラブやソープランドなども。男女へ性愛の場を提供するラブホテルでも、もう木造の新築はありえない。

 それらの施設にも、数奇屋の延長線上へおきうる要素はあるだろう。数奇屋とポストモダニズムのモチーフを、融合させている。たとえば、そう言えそうなナイトラウンジも、実在すると思う。

 だが、鉄筋コンクリートの風俗施設と木造のそれは、同列にあつかえない。アール・デコが数奇屋と同居する木造の娼館から、ずいぶん前者はへだたっている。私は両者を別物とみなしたい。

 周知のように、旧遊廓は二〇世紀のなかば以後、営業を禁止された。ほかの風俗施設とちがい、鉄筋コンクリートが普及しきる前に、たてられなくなっている。おかげで、その遺構はアール・デコ化された木造数奇屋の姿を、とどめることができた。

 茶室あたりとちがい、数奇屋が二〇世紀に入っても現役で生きつづける。とうとう、アール・デコと融合するまで、変容していった。そんな数奇屋の最終形態、コンクリート化される前の姿が、ここには記録されている。貴重な映像資料の刊行を、よろこびたい。


渡辺豪『遊廓』より

新潮社 波
2020年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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