血の通わない真心 新感覚の恐怖体験を味わえる
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
「真っ当」とは何かを逆説的に問う小説かもしれない。
主人公の「陽介」は、公務員試験の勉強の傍ら、母校の高校のラグビー部でコーチも務める大学生。スポーツマンで、成績優秀で、つねに彼女がいるらしい。なにしろ、彼は社会規範やマナーや目上の教えをたいへんよく守る男である。
ライブで隣席の女性の脚に触りたくなるが、公務員を志す者なので慎む。ホテルでも彼女にセックスを無理強いせず、独り窓辺で全裸になり携帯電話を抱きしめたりする。
思考もつねにロジカル。気になりながら行かずじまいのパスタ店に行った、と語りながら、直後に、一度も行かなかったのだから、気になってなどいなかったのか、と思いなおす。自動販売機で希望の飲み物を買えず、なぜか突然、滂沱(ぼうだ)と涙を流すが、自分の恵まれた境遇を一つずつ思い返し、「悲しむ理由がなかった」「悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ」と、あっさり結論づける。
非常に因果関係が明確なようでいて、実は転倒しているのだが、(これだけ悲しいなら、悲しむ理由がどこかにあるはずだ)とは思わない。
彼は政治家志望の彼女「麻衣子」に冷たくされている時期に、たまたま下級生の「灯(あかり)」と出会い、乗り換えるが、料理とかくれんぼが得意なのという灯は恐るべき変貌を遂げ、「お友達」になった麻衣子は、学内のカフェで、ホラーより怖い実話を聞かせてくる。人間関係のあちこちに罅(ひび)が入りだし……。
陽介は怪しげな中年男と女児の二人連れによく会い、テレビからは「巡査部長」が猥褻な行為で逮捕されたニュースばかり流れてくる。冒頭のラグビー場面での「体の芯を正確に捉え」と「球が手から零れ」という表現も、ラストできっちり繰り返される。律儀な反復と得体のしれない虚無。血の通わない真心。新感覚の恐怖体験をどうぞ。