血の通わない真心 新感覚の恐怖体験を味わえる一冊

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

破局

『破局』

著者
遠野遥 [著]
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309029054
発売日
2020/07/04
価格
1,540円(税込)

書籍情報:openBD

血の通わない真心 新感覚の恐怖体験を味わえる

[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)

「真っ当」とは何かを逆説的に問う小説かもしれない。

 主人公の「陽介」は、公務員試験の勉強の傍ら、母校の高校のラグビー部でコーチも務める大学生。スポーツマンで、成績優秀で、つねに彼女がいるらしい。なにしろ、彼は社会規範やマナーや目上の教えをたいへんよく守る男である。

 ライブで隣席の女性の脚に触りたくなるが、公務員を志す者なので慎む。ホテルでも彼女にセックスを無理強いせず、独り窓辺で全裸になり携帯電話を抱きしめたりする。

 思考もつねにロジカル。気になりながら行かずじまいのパスタ店に行った、と語りながら、直後に、一度も行かなかったのだから、気になってなどいなかったのか、と思いなおす。自動販売機で希望の飲み物を買えず、なぜか突然、滂沱(ぼうだ)と涙を流すが、自分の恵まれた境遇を一つずつ思い返し、「悲しむ理由がなかった」「悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ」と、あっさり結論づける。

 非常に因果関係が明確なようでいて、実は転倒しているのだが、(これだけ悲しいなら、悲しむ理由がどこかにあるはずだ)とは思わない。

 彼は政治家志望の彼女「麻衣子」に冷たくされている時期に、たまたま下級生の「灯(あかり)」と出会い、乗り換えるが、料理とかくれんぼが得意なのという灯は恐るべき変貌を遂げ、「お友達」になった麻衣子は、学内のカフェで、ホラーより怖い実話を聞かせてくる。人間関係のあちこちに罅(ひび)が入りだし……。

 陽介は怪しげな中年男と女児の二人連れによく会い、テレビからは「巡査部長」が猥褻な行為で逮捕されたニュースばかり流れてくる。冒頭のラグビー場面での「体の芯を正確に捉え」と「球が手から零れ」という表現も、ラストできっちり繰り返される。律儀な反復と得体のしれない虚無。血の通わない真心。新感覚の恐怖体験をどうぞ。

新潮社 週刊新潮
2020年8月27日秋初月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク