侘しく切ない非正規労働ダークファンタジー
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)
岡崎祥久「キャッシュとディッシュ」(文學界8月号)は、ファンタジー小説である。といっても、50歳を目前に製麺工場にて時給1000円ちょっとで働く男が主人公とくれば夢の世界が広がろうはずがない。侘しく切ない非正規労働ダークファンタジーである。
叔父の死を告げに、たった一人の肉親である弟が訪ねてくる。身辺無一物で死んだ叔父の唯一の遺品だといって、弟は白い皿のようなものを差し出し、「俺」はその皿を手に入れる。
それは、所有物の購入代金を返金してくれる魔法の皿だった。どんなガラクタだろうと、その皿から水をかけ一晩経つと、品物が消えて、支払った分のお金が皿に載っているのだ。
生活への安堵感を得て、やすらかな気持ちになった「俺」は、製麺工場を辞め、身の回りの品を金に換えて暮らすようになるが――。
フリーター生活をリアルに描いた岡崎の23年前のデビュー作『秒速10センチの越冬』は、非正規雇用が問題化し始めた世相を受け「現代のプロレタリア文学」などと呼ばれた。
平成不況がまさか今日まで続き、さらに先が見えないだなんて、あの頃は誰も想像しなかっただろう。本作の「俺」は、『秒速10センチの越冬』の主人公の23年後の姿である。経済の先行きが不透明になればなるほど、「俺」のような非正規労働者の行く末は知れる。見え透いた未来を描くのに、リアリズムはもはや適さない。
面白さでは、王谷晶「ババヤガの夜」(文藝秋季号)が今月はピカイチだった。特集「覚醒するシスターフッド」の看板作だ。
高島鈴の宣言的エッセイ「蜂起せよ、〈姉妹〉たち」によれば「シスターフッド」とは、「あらゆる差別と抑圧の打破を志向し、背中合わせに理念を共有し、フラットなまま小目標ごとに離合集散を繰り返す独立攻性」の女性同士の連帯である。
ヤクザ活劇の枠組みを使い、主人公を屈強な女に差し替えた「ババヤガの夜」は、高島の宣言を巧妙に忠実に作品化する。それに加え、人種差別問題や、性差に囚われない新しい関係性の提示などまで繰り込んで、娯楽性を損なうどころか加速させるのだからすごい。