広島を忘れないようにするために語り継ぐべき「幽霊戸籍」の存在

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空白の絵本 —語り部の少年たち—

『空白の絵本 —語り部の少年たち—』

著者
司修 [著]
出版社
鳥影社
ISBN
9784862658272
発売日
2020/07/26
価格
1,870円(税込)

書籍情報:openBD

広島を忘れないようにするために語り継ぐべき「幽霊戸籍」の存在

[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)

 あれから七十五年。広島には今なお、「死んどるのに死んどらん人たち」がいるという。

 空襲警報が鳴っても空振りの多かった広島では、それでも万が一に備えて戸籍を比治山(ひじやま)の文徳殿というところに疎開させていた。結果として、原爆によって一家全滅して死亡届を出してもらえないような場合、戸籍上はそのまま生き残っているというのだ。この「幽霊戸籍」の問題を描いたNHKのテレビドラマ《空白の絵本》を、約三十年を経て作者自身が連作小説化したのが本書である。

 幼い瓜子(うり)はおそらく被爆から逃げ延びたが、ちょっとの間と母からそばにいた男に預けられ、混乱の中、そのまま母と生き別れてしまう。死に別れなのかもしれない。何も詳しいことはわからない。本当の名前も年齢も。それでも男はその娘を育てることにする。二歳くらいだろうか。瓜子の戸籍も、本人とは別のところで生き続けているかもしれない。

 成長した瓜子は、育ててくれた「おじさん」と結婚することを選ぶ。二十歳以上歳の離れた晩婚の夫婦で、結婚しても「おじさん」という呼称は変わらなかった。やがて娘が生まれ、「おじさん」は亡くなる。その遺灰を故郷の川に流してあげようと、母娘で広島に行き、そこで原爆とその後のさまざまなエピソードを聞く。さらに、章ごとに語り手が母と娘で入れ替わり、語りが画一的、単線的にならないようになっている。三十年前のドラマは見ておらず、再放送が望まれるが、いずれにせよこうした語り方の複層性は、小説ならではの工夫だろう。こうしてあの戦争がリアリティをもって語り継がれる。

 幽霊戸籍は百歳を超えると抹消されるそうだが、終戦時に赤ん坊だったとすればまだ二十年以上「死んどるのに死んどらん」状態の続く人がいるということだ。しかし本書を読むと、彼らは、私たちが戦争を、広島を忘れないようにするために死なずにいてくれているようにも思える。

新潮社 週刊新潮
2020年9月3日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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