文学と科学をあざやかに融合させた寺田寅彦。芸術感覚にあふれた名随筆家が、科学の新知識を提供した23篇を復刊!『ピタゴラスと豆』

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ピタゴラスと豆

『ピタゴラスと豆』

著者
寺田 寅彦 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784044005887
発売日
2020/08/25
価格
924円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

文学と科学をあざやかに融合させた寺田寅彦。芸術感覚にあふれた名随筆家が、科学の新知識を提供した23篇を復刊!『ピタゴラスと豆』

[レビュアー] 鎌田浩毅(京都大学大学院教授)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:鎌田 浩毅 / 地球科学者)

 一八七八年に東京で生まれた寺田寅彦は、高知で育ったあと東京帝国大学理科大学実験物理学科を卒業。後に東京帝国大学理科大学教授を務めながら、夏目漱石をめぐる文壇の一員としても活躍した。ちなみに、漱石の小説『三四郎』に登場する科学者の野々宮宗八のモデルとしても有名である。
 身近な現象を科学の眼でみつめるユニークな視座は、「寺田物理学」とも呼ばれる。ノーベル賞級の世界的な研究業績を残しただけでなく、自然と人間の行動に関するユニークなエッセイを数多く執筆し、科学啓発のパイオニアとして現在でも高く評価されている。
 角川源義氏の解説にもあるように、本書はかつて岩波書店から同名の単行本が刊行され、後に角川文庫に入った。科学者が書いたエッセイとしては芸術感覚に富み、科学と文学が見事に調和した珠玉の作品となっている。
 寺田は一九二三(大正一二)年の関東大震災を四四歳の時に体験した。それに基づき、地震・津波・火災・噴火に関する先駆的な論考を残し、平時における備えと災害教育の重要性を説いた。ここに地球科学を専門とする私と深い接点があるので、本書の「震災日記より」から読み解いてみよう。

■●科学者の目で見た関東大震災

 関東大震災が発生した大正一二年九月一日(土曜)にはプロフェッショナルの目で見た詳細な記述がある。

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 急激な地震を感じた。椅子に腰かけている両足の蹠(うら)を下から木槌(きづち)で急速に乱打するように感じた。たぶんその前に来たはずの弱い初期微動を気がつかずに直ちに主要動を感じたのだろうという気がして、それにしても妙に短週期の振動だと思っているうちにいよいよ本当の主要動が急激に襲ってきた。同時に、これは自分の全く経験のない異常の大地震であると知った。(271頁)
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 専門の地球物理学者が実際に巨大地震を体験した、後世に残る極めて貴重な記録である。激しい揺れに翻弄されながらも、寺田はいま起きていることを冷静に観察する。そして彼の思考は郷里の高知で母が経験した一八五四年の安政南海地震のエピソードへ向かう。

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 その瞬間に子供の時から何度となく母上に聞かされていた土佐(とさ)の安政地震の話がありあり想出され、ちょうど船に乗ったように、ゆたりゆたり揺れるという形容が適切である事を感じた。仰向(あおむ)いて会場の建築の揺れ工合(ぐあい)を注意して見ると四、五秒ほどと思われる長い週期でみしみしみしみしと音を立てながら緩やかに揺れていた。(271頁)
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 これらは地震学の基礎として習う内容だが、初動の縦揺れ(P波)の次に大きな横揺れ(S波)がやってくる記述である。

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 主要動が始まってびっくりしてから数秒後に一時振動が衰え、この分ではたいした事もないと思うころにもう一度急激な、最初にも増した烈(はげ)しい波が来て、二度目にびっくりさせられたが、それからはしだいに減衰して長週期の波ばかりになった。(271頁)
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 そのあと寺田は、木造家屋が倒壊して立ち上る土埃の臭いからその後の大火の発生を予測する。実は、関東大震災で亡くなった約一〇万人の犠牲者のうち、九割が地震後の火災旋風などによるものだったのである。彼は自宅に戻った後、家に寄った同僚たちからくわしく話を聞く。

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 隣のTM教授が来て市中ところどころ出火だという。縁側から見ると南の空に珍らしい積雲(せきうん)が盛り上っている。それは普通の積雲とは全くちがって、先年桜島(さくらじま)大噴火の際の噴雲を写真で見るのと同じように典型的のいわゆるコーリフラワー状のものであった。よほど盛な火災のために生じたものと直感された。(275頁)
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■●九〇年以上前に「火災旋風」を記録

 大地震にともなって起きる火災旋風と呼ばれている現象で、人口の多い木造密集地域を焼土と化してしまう。現在でも首都圏でマグニチュード7クラスの直下型地震が起きた際に懸念されている(拙著『京大人気講義 生き抜くための地震学』ちくま新書)。そして寺田は地震発生二日目にこう記述する。

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 浅草下谷(あさくさしたや)方面はまだ一面に燃えていて黒煙と焔(ほのお)の海である。煙が暑く咽(むせ)っぽく眼に滲(し)みて進めない。(中略)駿河台(するがだい)は全部焦土であった。明治(めいじ)大学前に黒焦の死体がころがっていて一枚の焼けたトタン板が被(かぶ)せてあった。(277頁)
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 関東大震災を経験した寺田の議論はいまだに有効で、二〇一一年から「大地変動の時代」に入った現在の日本列島を考えるためにも非常に役立つ。我が国では首都圏を始めとする大都市に人とシステムが集中し、その勢いは一九二三年の関東大震災後はおろか、二〇一一年の東日本大震災の後も留まることを知らない。
 九〇年以上も前の寺田は、関東大震災の直後から「災害を大きくしたのは人間」という卓見を表明した。すなわち、もともと自然界に蓄積されたエネルギーには良いも悪いもなく、そのエネルギーを災害として増幅させてしまうかは、人間の所為によると喝破した。ちなみに、彼は『天災と国防』というエッセイで「災害を大きくするのは文明人そのもの」と記している。
 実は、地震や噴火など自然災害への対処法について、一般市民へ真剣に語りかけた研究者は、寺田が最初である。市民みずからが地震などの正しい知識を持つにはどうすれば良いかを彼は真剣に模索した。
 試行錯誤を繰り返した彼は、結局「自分の身は自分で守る」姿勢を作らなければ災害は軽減できないと考えた。よって、地震や噴火など不定期に突発する災害に対して平時から危機感を持つように、市民向けのエッセイで説き続けたのである。
 まさに現代社会の問題を予言したものであり、彼の主張内容がまったく古びていないことに驚く。日本人は世界屈指の地殻変動帯に住みながら、地震と津波に対する防御が依然としてお粗末なのである。
 彼は数多くの随筆を残したが、その多くは世間の人たちが自然科学に理解がないことを憂いて執筆されたものだ。寺田は一〇万人以上の死者を出した関東大震災の原因の一つに知識不足があることを見抜いた。正しい知識がなかったため、災害時にとんでもないデマ(流言)が流布し、犠牲者が増えたからだ。
 彼は関東大震災のような惨事を起こさないためには、正しい知識が必要であると考え、教育で自らが身を守ることを教えなければならないと考えた。それが次に取りあげる科学教育のテーマに繋がってゆく。

寺田寅彦『ピタゴラスと豆』
寺田寅彦『ピタゴラスと豆』

■●レビューを観て教育を考える

「マーカス・ショーとレビュー式教育」は、アメリカのレビュー団マーカス・ショーがニューヨークから来日して行った公演に関するエッセイである。この大人気の興行を寺田は一九三四年(昭和九年)に観に行き、同年六月の『中央公論』に発表した。
 日曜日の開演ともあって大変な数の人が車道まではみ出している。人々が切符を買う場面から詳しく描写するが、全員が入場するまでどのくらい時間が掛かるか見当がつかない。

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 一人宛(あて)平均三十秒はかかるであろう。それで、待っている人数がざっと五百人と見て全部が入場するまでには二百五十分、すなわち四時間以上かかる。これは大変である。(114頁)
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 寺田の真骨頂である。目の子勘定でこれだけの定量的な人数予測を行う。そうした科学者らしい奇妙な行動と計算結果の確からしさに、読者は寺田の性癖にあきれながらも微笑みを浮かべるのだ。
 そしてレビューの本質を簡潔に記述する。二、三時間に三十もの見世物が、五分程度で休止なしに続く。こうして観客を終わりまで退屈させずに引きずる手際に寺田は感心する。この見せる技術が、エッセイ後半の科学教育論へ展開する。

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 筋の通った劇よりも、筋はなくて刺戟(しげき)と衝動を盛り合わせたレビューのはやる現代に、同じような傾向がいろいろの他の方面にも見られるのは当然のことかもしれない。それについてまず何よりも先きに思い当るのは現代の教育のプログラムである。(121頁)
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 このエッセイが書かれた昭和初期の教育はレビュー式だったと寺田は言う。すなわち、盛りだくさんの刺激はあるが、一つの考えに統一された筋の通った教育は既に稀薄になっていた。

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 教科書がまたそれぞれにレビュー式である。読本(とくほん)をあけて見る。ありとあらゆる作者のあらゆる文体の見本が百貨店の飾棚のごとく並べられてある。今の生徒は『徒然草(つれづれぐさ)』や『大鏡(おおかがみ)』などをぶっ通しに読まされた時代の「こく」のある退屈さを知らない代りに、頭に沁(し)みる何物も得られないかもしれない。(122頁)
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「こくのある退屈」とは見事な表現である。哲学者で数学者のバートランド・ラッセルは『幸福論』に fruitful monotony(実りある単調さ)と表現するが、全く同じ見方である。

■●物理教科書にもの申す寺田

 次に彼の矛先は専門である物理学の教科書に向けられる。

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 自分等が商売がら何よりも眼につくのは物理学の中等教科書の内容である。限られた紙幅の中に規定されただけの項目を盛り込まなければならないという必要からではあろうが、実にごたごたとよくいろいろのことが鮨詰(すしづめ)になっている。(122頁)
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 そして教科書に載せられた生徒向けの図版を重要視する寺田は、具体的にこう指摘する。

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 一頁の中に三つも四つもの器械の絵があったりする。見ただけで頭がくらくらしそうである。そうしてそれらの挿図の説明はというとほとんど空っぽである。全く挿図のレビューである。(122頁)
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 寺田は、本当の「物理」を教えるには図は一つだけにして他は割愛し、その一つを詳しく分かるように説明した方が有効であると説く。そして物理の教科書を見たこともない一般人のために、彼は駅弁の例を挙げながら親切に語る。

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 汽車弁当というものがある。折詰の飯に添えた副食物が、いろいろごたごたと色取りを取合せ、動物質植物質、脂肪蛋白澱粉(たんぱくでんぷん)、甘酸辛鹹(かんさんしんかん)、というふうにプログラム的に編成されているが、どれもこれもちょっぴりで、しかもどれを食ってもまずくてからだのたしになりそうなものは一つもない。(123頁)
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 彼は物理学の学習がレビュー的表現によってはぐらかされる危険性を指摘する。

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 多くのレビューでは、見ている間だけ面白くて、見てしまったあとでは綺麗(きれい)に忘れてしまうのがむしろその長所であり狙いどころではないかと思うが、物理やその他の科学の教科書はそれでは困りはしないか。(123頁)
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■●科学教育のポイント

 ここから「科学を学ぶ」もしくは「科学を教える」際には何がポイントとなるかの議論が展開される。

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 三つのものを一つに減らしてもその中の一番根本的な一つをみっしりよく理解し呑(のみ)込んでしまえば、残りの二つはひとりでに分かるというのが基礎的科学の本来の面目である。そうでなくても一つのものをよく玩味(がんみ)してその旨(うま)さが分かれば他のものへの食慾はおのずから誘発されるのである。たくさんに並べた栗のいがばかりしゃぶらせるような教科書は明らかに汽車弁当に劣ること数等であろう。(123頁)
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 そして、「教えるためには教えない術が必要である」という大事なキーフレーズが飛び出す。寺田の発案とされるお馴染みの名文句「天災は忘れた頃にやってくる」のように、人口に膾炙する見事なキーフレーズを生み出す能力がここでも垣間見える。

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 光の反射屈折に関する基礎法則を本当によく呑込ませることに全力を集注し、そうしてそれを解説するに最適切な二、三の実例を身にしみるように理解させれば、その余の複雑な光学器械などは、興味さえあらば手近な本や雑誌を見てひとりで分かることである。(124~125頁)
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 科学教育の本質を突いたまっとうな意見で、現在でも通用する。ちなみに、光の反射屈折は古典物理学の基礎教育で必ず登場する内容で、ニュートンの主著『光学』のテーマでもあった。ここから彼は高等学校から大学までの科学教育の問題点を一刀両断する。

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 基礎的なことがよく分からないで枝葉のデテールをごたごたに暗記して、それで高等学校の入学試験をパスし、大学の関門を潜ぐり、そうしてきわめてスペシァルなアカデミックな教育を受けて天晴(あっぱ)れ学士となり、そうしてしかも、実はその専門の学問の一番エレメンタリーな第一義がまるで分かっていないというスペシァリストは愚か大家さえできるという実に不思議な可能性が成立するのである。(125頁)
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 日ごろ寺田が感じていた鬱憤が爆発したような個所だが、これは令和の現代にも当てはまる。こういう脱線を読むと、彼がいかに自由奔放にエッセイを楽しんで書いていたかが分かる。その素直さも私を始めとする寺田ファンにはたまらない点で、寺田が夏目漱石に可愛がられたことも頷けよう。
 さらに、本題のレビュー式教育の良い点と悪い点を公平に判断する論考が続く。美食に関心の高かった彼は、飲食の例を用いてその利点をこう説明する。

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 熱で渇いた口に薫りの高い振出しをのませ、腹のへったものの前に気の利いた膳をすえ、仕事に疲れたものに一夕の軽妙なレビューを見せてこそ利目(ききめ)はあるであろう。(128頁)
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■●「中古典」としての寺田エッセイ

 本書のエッセイには、寺田寅彦の仕事と趣味と人生がすべて盛り込まれている。ちなみに、私は高校生の頃、寺田に強く惹かれて随筆を読みあさっていたことがある。大学の教養課程で進学先を選択する際、理学部の地学科を選んだ理由には彼の影響があった。寺田の守備範囲の一つであった地球科学を専攻するというだけでなく、彼の考え方はその後の私の生きざまにも影響を与えることとなった。
 二三年前に京大に着任してから私は、寺田のエッセイを「中古典」として学生たちに薦めてきた。つまり、『ソクラテスの弁明』や『論語』『方法序説』が大古典であるとすれば、『アラン幸福論』や『氷川清話』などの中古典は身近ではるかに読みやすい近現代の名著なのである(拙著『理学博士の本棚』角川新書)。
 本書のエッセイはいずれも味のある作品で、科学者にしか書けない珠玉の短編と言っても過言ではない。寺田の残した中古典の中から、自分の一番好きな文章を選んで繰り返し味わっていただきたいと思う。

▼寺田寅彦『ピタゴラスと豆』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322001000013/

KADOKAWA カドブン
2020年9月2日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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