「非の打ちどころがない傑作」「戦争映画の理想形」 押井守が映画『1917 命をかけた伝令』を語る

インタビュー

155
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

押井守の映画50年50本

『押井守の映画50年50本』

著者
押井守 [著]
出版社
立東舎
ISBN
9784845634446
発売日
2020/08/12
価格
2,420円(税込)

書籍情報:openBD

戦争映画はお天道様の下で撮るべきなんだよ

[文] 立東舎


見本が出来上がった『押井守の映画50年50本』とともに

『機動警察パトレイバー the Movie』『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を手掛ける映画監督・押井守が、SF映画の金字塔『2001年宇宙の旅』からアカデミー受賞作『シェイプ・オブ・ウォーター』までの50(+1)本の映画を語り尽くした書籍『押井守の映画50年50本』を刊行した。

その刊行を記念して、2019年の1本として、押井監督に『1917 命をかけた伝令』の魅力を語っていただいた。『パラサイト 半地下の家族』と賞レースを競い合った本作を押井監督はどう読み解いたのか?

映画のスケール感を堪能した

──本作は、『007 スカイフォール』(12)のサム・メンデス監督作品です。

押井 彼の作品は、ほとんど見ているんじゃないかな。トム・ハンクスとポール・ニューマンが共演したマフィア映画『ロード・トゥ・パーディション』(02)も見たことがあるし、湾岸戦争の海兵隊員の日常を描いた『ジャーヘッド』(05)は、わりと好き。

──長編1本目が『アメリカン・ビューティー』(99)です。

押井 イギリス人が『アメリカン・ビューティー』を撮ったというのは、驚きだね。アメリカの中流家庭の悲喜劇だからね。

──サム・メンデスは、大学時代に『パリ、テキサス』(84)を見て、ドイツ出身のヴィム・ヴェンダースがアメリカを題材にした『パリ、テキサス』を撮ったという事実に感銘を受けたんだそうです。

押井 かつてのヴェンダースがそうであったように、サム・メンデスにもアメリカに対する想いと、ヨーロッパの伝統的な文化の引力に飲み込まれまいとする意志があるってことなんだろうね。ヨーロッパの文化に飲み込まれると、ヨーロッパ映画しか撮れなくなるからね。

──サム・メンデスの発言を調べてみると、押井監督が今回の書籍の『パリ、テキサス』の回で語っているそのままでした。アメリカに対する憧れと距離感があって、ずっとアメリカを題材にした映画を撮りつづけていたのですが、いよいよ『007 スカイフィール』でイギリスに帰還して、『007 スペクター』(15)を経て、そして本作です。

押井 こうしてフィルモグラフィを並べてみると、ちゃんとしているんだなという印象だね。ちゃんと実績を重ねていって、『1917 命をかけた伝令』を撮ったんだと分かる。いきなりこれを撮るのは、無理だからね。長い塹壕を掘って造って、リハーサルを重ねて、大変な労力だよ。ハリウッドやイギリスの現場で映画監督に求められるのは、演出能力だからね。演出能力だけだと言ってもいい。

──演出能力だけ、ですか?

押井 ハリウッドでは最終編集権を持たせてくれない場合が多いから、監督に求められているのは現場の演出能力だけなんだよ。だから、監督として演出能力があることを証明して、業界の信頼を得て、そしてようやくこういう映画を撮ることができるようになる。ロイヤル・シェイクスピア・カンパニーで舞台演出家としてのキャリアがあったとはいえ、この映画は演出能力だけじゃないからね。映画としてのスケール感がある。ひさしぶりに映画のスケール感を堪能した。やっぱり戦争映画はこうじゃなくちゃな、と思ったよ。この映画は、ノルマンディー上陸の『史上最大の作戦』(62)のような壮大な戦争映画じゃなくて、やっていることは本当に小さなミッションなんだよ。1泊2日で伝令を戦線まで届けろってだけだからさ。だけど、小さなミッションだからこそ映画のスケール感を出すことに成功している。兵隊目線で戦場のスケール感を出していく。最初から最後まで本当に兵隊目線のままだからね。『史上最大の作戦』のような世界視線の映画では、こうはいかない。

──世界視線?

押井 宇宙から眺めるように、すべての状況に対してフォーカスを合わせていく映画のことを「世界視線」と言うんだけど、世界視線の映画にすると、大作感を出すことはできても、戦場を描くことに徹することはできなくなる。この映画は、兵隊目線で戦場を描くことに徹することで、戦争映画としてのスケール感を出していくことに成功した。戦争映画をやるとなると、どうしても大作感を出したくなっちゃうんだけど、兵隊が置かれている状況と大作感は関係ないじゃん? こういう戦争映画を見てみたいと思っていたし、戦争映画のお手本のような作品になっている。

──カットを割らない長回し映像は、いかがでしょう?

押井 長回しが話題になったけど、長回しのテクニックを見せびらかしたいから長回しをやっているわけではないんだよね。カットを割る必要がないから、長回しになったというだけ。世界視線の映画じゃないから、ということに尽きるよ。兵隊の目線でずっとやっているから、カットの切りようがないんだよ。

美しい戦争映画

──『1917 命をかけた伝令』はアカデミー撮影賞を受賞しました。

押井 美しい戦争映画だと思った。戦争映画を形容する言葉としては矛盾しているんだけどさ。撮影は本当に見事だった。川辺のシーンとか、自然が美しかったよね。こんなに綺麗な戦場があるんだなって。もちろんカメラマンのロジャー・ディーキンスが美しく撮っているからなんだけどさ。それでいて、その川辺に死体がゴロゴロ浮いていたりする。美しいだけじゃなくて、凄味のある映像だった。あとはやっぱりね、自然の美しさも含めて、ロケ撮影のよさが出ていると思った。クリストファー・ノーランの『ダンケルク』(17)もそうなんだけど、戦争映画はお天道様の下で撮るべきなんだよ。ロケ撮影は、雨で中止になったら日本でも1日100万円単位でお金が飛ぶので、プロデューサーは総じてロケ撮影を嫌がるんだけどさ。僕が『ガルム・ウォーズ』(16)でカナダに行ったときも、僕らがスタジオを探してるときにローランド・エメリッヒが『ホワイトハウス・ダウン』(13)を見学に行った撮影スタジオで撮っていた。カナダでいちばん大きな撮影スタジオをまるごと借り切って、ホワイトハウスを実寸で、もちろんパーツに割るんだけどさ、屋根とか応接室とかを、大工さんが600人がかりで造っていた。で、背景は全部ブルーバック。屋内撮影だから、景色は、あとで合成する。オープンセットで空の下で撮ればいいじゃんと思ったんだけど、「天気が怖いから」と言っていた。「雨で中止になるくらいなら、合成の手間暇のほうが安い」という話だった。あれだけの規模になると、1日100万円じゃ済まないからね。

──それはそうですよね。

押井 大作になればなるほど、屋内撮影にならざるをえないんだなと思ったし、『ガルム・ウォーズ』も当初は「オール屋内撮影にしてくれ」と言われたんだよ。CGを合成して作っていくタイプの映画だったから、もちろんブルーバックを使うんだけどさ、来る日も来る日もブルーバックばっかりで、頭がおかしくなりそうだったよ。オール屋内撮影では無理だと分かりきっていたから、「8日間だけロケをやらせてくれ。やらせてくれないなら日本に帰る」とお願いして、8日間だけロケを敢行したんだけど、最高だった(笑)。本当にたのしかった。ロケをやってはじめて、合成に意味が出てくると思っているし。だからロケをやってよかったと思っているんだけど、エメリッヒは『ホワイトハウス・ダウン』の屋内撮影を1年がかりだからね。よく耐えたなと思うよ。

──ロケ撮影は、たのしいんですか?

押井 リハーサルは大変だし、雨になったら中止になるし、苦労の連続なんだけど、苦労のし甲斐がある。ノーランの『ダンケルク』も同じだよ。どこで撮ってもいいんだけど、実際の海岸で撮影した。むかしの『ダンケルク』(64)も実際の海岸で撮っているシーンはあるんだけど、ノーラン版のほうが「ああ、こういう場所だったんだ」と分かるし、ロケ撮影をしたことが映画のスケール感になっている。


『押井守の映画50年50本』の内容を確認する監督

『プライベート・ライアン』との比較

押井 この『1917 命をかけた伝令』は、戦争映画として非の打ちどころがないと思ったよ。戦争映画って、実はそんなに数があるわけじゃないから、どうしてもすぐ比較しちゃうんだけど、スティーヴン・スピルバーグの『プライベート・ライアン』(98)が1つの基準としてあるわけだ。実際かなりクオリティが高いし、行けるところまで行っている映画ではある。だけど、年老いたライアン一等兵が、救ってくれた大尉の墓前に自分の子孫を引き連れて行くラストが余計だった。安直なドラマのほうに行ってしまった。スピルバーグが考えるエンタメ文芸ってことなんだろうけどさ。この話は、『クワイエット・プレイス』のときにもしたけども。

──『クワイエット・プレイス』のジョン・クラシンスキー監督が、スピルバーグの「盛り上がるアート映画があってもいい」という発言に感銘を受けたという話ですね。

押井 『クワイエット・プレイス』の場合は、アクションをやってしまっている。『プライベート・ライアン』は、不必要なヒューマンドラマ。余計な要素を足さずに、映画が本来求めている姿を追求していくことが監督の仕事であるべきなんだよ。「ライアン一等兵を救うために大勢が犠牲になってもいいのか?」というドラマがすでにあるわけだから、「おかげさまで精いっぱい生きました」は蛇足だよ。

──『プライベート・ライアン』は評価しない?

押井 テレビでやっていると、ついつい見ちゃうけどさ。銃もディテールもいっぱい出てくるし、タイガー戦車もよくできている。ガンエフェクトの納富貴久男さんに言わせると、「ただのアメリカのアクション映画ですよ」って。たしかにそのとおりなんだよ。戦争映画は、戦場という状況がアクションに向いているし、人を殺しても、どっかしら担保されている部分がある。戦争映画のことをイコールでアクション映画だと思っている人も多い。スピルバーグは、それが嫌だから、ヒューマンドラマを盛り込もうとしたんだろうけど、戦争映画のことをアクション映画だと思ってしまっていること自体が間違いだよ。戦場を描くことに徹するんだったら、ドラマなんか要らないはずなんだ。観客やプロデューサーが求めるヒューマンドラマを突破して持ちこたえるだけの戦争映画の中身って何だと思う?

──戦場の緊迫感ですか?

押井 半分は正解なんだけど、戦場のリアリティは、緊迫感とか凄惨さとか、ギリギリな状況だけじゃないはずなんだよね。兵隊が戦場にいることの重たい時間というのかな。この『1917 命をかけた伝令』は、ゆったりしているでしょ?

──中盤でトラックに乗るシーンとかでしょうか?

押井 あのトラックのシーン、よかったよね。戦争映画となると、みんな戦闘シーンばっかり描きたがるんだけど、戦闘シーンと同じくらい、兵隊が戦場にいることの重たい時間を丹念に描くべきなんだよ。そこを飛ばしちゃうとね、ただのアクション映画になってしまう。重たく流れる時間も含めて、戦場そのものを描く。『1917 命をかけた伝令』は、戦場そのものを描いた傑作だと思うよ。

非の打ちどころがない傑作

──書籍『押井守の映画50年50本』ではブラッド・ピットが戦車長を演じた『フューリー』(14)も取り上げています。

押井 『フューリー』も戦争映画としてはいい線まで行ったと思うけどね。「玉子を渡すから、食事を作ってくれ」ってドイツ人女性の家に上がり込んで、食卓を囲むんだけどさ。あのシーンは大好きなんだけど、最後の十字路での闘いがツッコミどころ満載なんだよね。なぜあそこで頑張らないといけないのかを説明してないんだもん。あそこでただのアクション映画になってしまった。十字路で戦車が動けなくなって、ドイツのSS大隊がこちらに向かってくる。シャーマン戦車1台でSS大隊と闘うってのは、キャッチフレーズとしては悪くないけど、ふみとどまってまで死守する動機を説明していないんだよね。

──ブラッド・ピット演じる主人公にとっては、自分の戦車が「家」だから、家を守ろうとした。

押井 家と家族のどっちが大切なの? ブラッド・ピットが演じた戦車長のあだ名がウォーダディで、部下が家族みたいなもんなんだけど、戦車が動けなくなったときに「俺はとどまるから、おまえらは逃げろ」って言うわけじゃん? あそこで部下たちが「じゃあ」とか言って立ち去るわけがないんで、いっしょに闘うに決まっているんだけど、そこを説明できていない。どうしてもここで頑張るしかないんだっていう動機だよね。「じゃあ逃げることにします!」とか言うわけがないんで、映画としては観客に対して「言わなくても分かるよね?」ということにして誤魔化してしまっている。「分かるよね」って映画はダメなんだよ。ちゃんと説明しとけよ。映画の説得力ってそういうところからしか生まれないんだからさ。脚本の段階でちゃんと考えて、ラストのアクションに意味を持たせれば、ただのアクション映画に落ちることもなかったのに。『フューリー』だけじゃなくてね、『プライベート・ライアン』も『クワイエット・プレイス』も同じなんだけど、商業的な要請との折り合いって本当にむずかしいなあと思うよ。商業的な要請が、ツッコミどころになってしまう。

──『1917 命をかけた伝令』は、ドリームワークスが製作しているので、スピルバーグが脚本をチェックしているはずです。

押井 それにしては余計なヒューマンドラマが入っていない。サム・メンデスのことを信頼しているのか、『プライベート・ライアン』の反省を踏まえたのか。頑張って伝令を届けに行って、でも結局ほとんど徒労でしたって話じゃない? 戦争なんて、頑張ったけど無駄でした、が90パーセントだからね。そういう意味でも戦争の空気感をうまく出せている。本当に非の打ちどころがないよ。僕が考える戦争映画の理想形だね。

──『ダンケルク』と『1917 命をかけた伝令』のどちらか1本を選ぶのなら?

押井 う~ん。僕は、戦闘機のスピットファイアとか、たくさんメカが出てくる映画が大好きなので、選べと言われると微妙だね(笑)。『1917 命をかけた伝令』も中盤で飛行機が突っ込んでくるけどさ。歩兵の目線に徹しているから、地味だよね。地味にならざるをえない。戦闘機や戦車でこういう映画を作ることも可能なのかなと考えるんだけど、戦車が単機で戦場に出るってことがありえないし、歩兵の目線じゃないと、戦場ってこういうふうには映らない。地味な映画なんだけど、その代わりに美しく撮っている。美しいだけじゃなくて、凄味もある。本当に非の打ちどころがない傑作だよ。強いて言えば、キャスティングかなとは思うけど。

──誰ですか?

押井 ベネディクト・カンバーバッチ。僕は大好きな俳優だけどさ。この役は似合わないよ。最後の最後にちょっとだけ出てくるんだけどさ。客寄せのための商業的な要請なのかもしれないし、カンバーバッチがホームズを演じている『SHERLOCK/シャーロック』(10-)というテレビドラマで宿敵モリアーティ役のアンドリュー・スコットが序盤の塹壕シーンに出てくるので、彼とのペアでファンサービスということなのかもしれないけど。劇中のキャラみたいに意固地になるようなタイプじゃないし、戦況を見抜けないような人でもない。要するに役に合わないんだよ。キャスティングの問題点は『ダンケルク』にもあるんだけどさ。

──『ダンケルク』のほうは誰ですか?

押井 将軍役のケネス・ブラナー。太っちゃっているから、コートを着せて、体型を隠しているんだけどさ。あんな太った将軍はいなかったはずだし、すくなくとも第二次大戦の将軍役は似合わない。ノーランはなぜ彼を重用するんだろう?

──イギリスの大先輩だからじゃないですか?

押井 イギリス演劇界の重鎮だか何だか知らないけどさ、映画監督としては『エージェント:ライアン』(14)とかしょうもない映画しか撮ってないんだから。ノーランが彼を重用する理由を理解できない。まあ、キャスティングに関してはしょうがないのかな。それこそ商業的な要請という事情もあるんだろうし。ケネス・ブラナーが出てくるからいいんだ、あそこでカンバーバッチが出てくるからいいんだという人もいるだろうし。『ダンケルク』も『1917 命をかけた伝令』もそれぞれ異なるアプローチで、映画のスケール感を堪能させてくれる。オススメだね。

 ***

 本記事では映画『1917 命をかけた伝令』について押井監督に話を聞いた。映画に対する愛、監督としての矜持、観客に寄り添った視点などが伺えたのではないだろうか。書籍『押井守の映画50年50本』では、『タクシードライバー』『ブレードランナー』『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『セブン』『戦場のピアニスト』『ノーカントリー』などについて語った押井監督のインタビューを収録。本記事と合わせて読むことで押井監督の語りをより深く理解できる構成となっている。

 ***

著者のプロフィール
押井 守(おしい・まもる)
映画監督。1951年生まれ、東京都出身。1977年、竜の子プロダクション(現:タツノコプロ)に入社。スタジオぴえろ(現:ぴえろ)を経てフリーに。 『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』(84)、『機動警察パトレイバー』シリーズ(88~93)、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』(95)、『アヴァロン』(01)、『立喰師列伝』(06)、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』(09)、『THE NEXT GENERATION パトレイバー』シリーズ(14~15)、『ガルム・ウォーズ』(16)などを手がける。

立東舎編集部

立東舎
2020年9月7日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

立東舎

  • このエントリーをはてなブックマークに追加