作家・寺地はるなの創作の秘密に迫る 現役書店員と語る新作『彼女が天使でなくなる日』の魅力

対談・鼎談

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彼女が天使でなくなる日

『彼女が天使でなくなる日』

著者
寺地はるな [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413596
発売日
2020/08/31
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

寺地はるなの世界

[文] 角川春樹事務所

絶大な共感力で、書店員からも多くの注目を集めている寺地はるなさんの、新作『彼女が天使でなくなる日』が刊行されました。人口三百人の小さな島を舞台に、託児所兼民宿を営む女性と、「母子岩」というパワースポットのご利益を求めて訪れるお客さんとの交流を軸に描いた物語。書店員お二方と鼎談していただき、繊細な描写で読者を魅了し続ける寺地さんの創作秘話に迫ります。

小説が悪い影響を与えることも良い影響を与えることもある。

小泉真規子(以下、小泉) 都会で疲れた人が田舎で癒されて元気になって帰っていくという話はよくあると思うんですが、これは違いますよね。島の風景に癒されるわけでもないし、島の人たちとの交流で心が洗われましたというのでもない。ないんやけど、ちゃんとみんな前を向いて帰っていく。寺地さんらしい優しさとユーモアを感じながらとても面白く読ませていただきました。

寺地はるな(以下、寺地) ありがとうございます。

百々典孝(以下、百々) 僕は島の描写にすごくリアリティを感じました。そこで暮らす人たちの日常だけでなく、河童を模した案山子があるなど細部もかなり具体的ですよね。モデルとなった場所があるんですか?

寺地 いえ、架空の島です。私は佐賀県の唐津市出身ですが、唐津というところにはちっちゃい島が点々としています。その中にこういう島があったらいいなと。見たものしか書けないという性分なので、地元の風景として心に刻まれているものなどをちょっとずつミックスして書き上げています。ちなみに、私が生まれた町は河童の棲む里という伝説が残っています(笑)。

百々 海の匂いというのは実はプランクトンの死骸の匂いなんだとも書かれていますよね。他の人だったら、こういう言葉は出てこないんじゃないかと思います。立体感があって、想像を掻き立てられる描写に唸りました。

寺地 今は取材にも行けないような状況ですから、自分の体験や記憶を総動員しています。潮の香りなんて、それほどいいものじゃないの(笑)。

――その島で主人公の千尋は民宿を営んでいるわけですが、ただの民宿ではなく託児所も兼ねている。とても独創的な設定ですね。

寺地 以前、ベビーシッターの話を依頼されまして、途中まで書いたのですがいまいちで、視点を変えて書き直してみたものの、それも納得できなくて、さらに練り直して。そのとき、託児所もやっているベビーシッターという設定にしたんです。でも、これもまたなんというか……。再々チャレンジみたいな経緯でこの作品があります。

小説に出てくる人物の書き方には気を使います

小泉 そのときも島を舞台にして書かれたんですか。

寺地 街中ですね。ベビーシッターさんがいるのってある程度の街なのかなと思っていたのですが、しっくり来なかったです。島にするのは、まったく別の小説のことを考えているときに思いつきました。何かの折に、パワースポットと呼ばれている場所に対して、その近所で生まれ育ったような人って、日頃どう接しているのかなと考えたことがあって。そのことをふと思い出したら、それまでのいろんなアイデアが結びつきました。

百々 「母子岩」という子宝祈願のパワースポットを目掛けて島外から人は集まるけど、島の人たちはけっこう冷めた目で見ていますよね。ここ、面白かったです。それにしても、民宿と託児所という組み合わせは絶妙です。託児所というだけだったら、大人のどろどろした話になってしまう気がするし。登場人物はみな複雑な事情を抱えていますが、希望の光のようなものを感じることができたのはこの設定だからなんだろうと思います。

寺地 子どもを育てるのは大変というだけで終わりにしたくはなかったんです。子を持つ親だけが出てくるわけではないですし、いろんな人に自分の話だと感じて読んでほしいと思っています。

小泉 私とはまったく立場が違うにもかかわらず、深く共感するところがたくさんありました。千尋の人間的な魅力が大きいんかなと思います。

――千尋は母親を幼い頃に亡くし、父のこともほとんど知らず、民宿の“モライゴ”(貰い子)になって“島のみんなの子ども”として愛されながら育てられ大人になりますが、この人物造形はどのようにして生まれたのでしょうか。

寺地 いつだったか、アイヌ民族は自分の子どもでなくても、同じように育てるという話を聞いたことがあって、いいなぁと。ただ、不幸な生い立ちだからいい人、みたいな感じになると嫌らしいなと思っていたので、どう書けばいいのか悩みましたね。三崎塔子というライターが、不幸な生い立ちのあなたの人生を書きたいと千尋に近づいてきますけど、そういう物語として消費してしまおうとする感じは、自分の中では難しかったです。でも、小説にするということは、そういうことなんだと思います。だから人物の書き方には気を使います、この作品に限らず。

小説が自分の思いを肯定できるきっかけになれば嬉しい

小泉 私は寺地さんが書かれる女性に心惹かれます。しなやかな強さを感じるし、今回の千尋もそう。ばっさり斬るんだけど、寄り添いながらという感じもあるし。印象的だったのが「なにかの経験をした人が、その経験がない人に『あなたにはわたしの気持ちがわからない』と言う行為、わたしは嫌いです」というセリフです。はっきり主張できる千尋、いいなぁと思います。

寺地 この小説を読んでくれた人が、嫌なことは「嫌」、嫌いなことは「嫌い」と言っていいんだと感じてくれたらいいなと思っています。書かれたものを目にすることが自分の思いを肯定できるきっかけになれば嬉しいです。フィクションの影響って悪いことばかりが言われがちですよね。事件が起これば、あの本の残酷な描写が影響を与えたなどと報道されたり。でも、悪い影響を与えることがあるならば、いい影響を与えることもあるはず。理想を並べるわけでも、これが正解というつもりもないけれど、小説がその役割を果たせたら素敵だなと思っています。

百々 どう思うかは人それぞれ。千尋はこのことを体現するような人物ですね。

寺地 私、カエルが嫌いなんですけど、でも別に絶滅してほしいとは思っていませんから(笑)。嫌いという感情はどうしようもないけれど、それはいけないことではない。そういう考え方になればいいなと思います。

百々 嫌いというか、理解しがたいなと思っているのが、本作のタイトルにもなっている第二章の、いくつになっても娘を溺愛する母親です。娘にはその先の輝きのようなものを感じたのですが、母親は異常な愛情の注ぎ方に気付くのかどうか。幸せになってほしいんだけどなぁ。

寺地 気が付かないと思いますよ。だって、正しいと思ってやっているんだから。島に来ただけであっさりいい風に変わっていくんだとしたら、それはリアルではないような気がします。

小泉 この親子、近すぎるだけに怖いですよね。

寺地 たとえ自分の娘であっても他人だと思うんです。だから、天使呼ばわりして褒めている態で、でも実際は抑圧している感じが私も怖いなと思いながら書いていました。そもそも天使ってどんなイメージを持っていますか? 一般的には純粋で可愛いという意味合いで使われると思うんですが、私は小さな子どもに対する“天使みたい”という表現に違和感があるんです。欧米の映画を見ていると、神様の命令は絶対で、それを遂行するためには手段を選ばない感じがあって、ぜんぜん可愛くないでしょ。

小泉 愛らしい=天使というのは日本ならではかもしれないですね。私はミッションスクールに通っていたので聖書を勉強したことがあるのですが、天使って悪いことを予言しにくるような存在で、キラキラなんてしていません。だから今回の天使という言葉には寺地さんの宗教観みたいなものも少し含まれているのかなと思っていたのですが。

寺地 そんなことはまったくなくて。西洋絵画に「受胎告知」ってあるでしょ。そこに描かれる天使って、だいたい怖い顔してるから。

百々 確かに(笑)。今の話を聞くと、個性的な登場人物たちをどのようにして生み出すのか、その背景も知りたくなりますね。思い入れのある人などいますか?

寺地 第一章の小さい子どもを持つ理津子さんかな。彼女だけは第一稿から残っているので、長い付き合いなんです(笑)。

小泉 この作品の中で、最も変わったことがわかる人物ですよね。

寺地 島で一晩ぐっすり寝ただけなんですけどね。島の人々に何かしてもらったわけでもないのに前向きになったのは、もともと彼女の中にあったものによると思うんです。それまでは育児を手助けしてくれる人が誰もいないと思い込んで世界を狭くしてしまっていた。でも、千尋たちが子どもをあやす姿を見て預けられるんだと知り、気持ちに余裕ができたんじゃないですかね。だから、本人の中でなにかが変わっていった。人にはそういう力があるのだろうと信じたいですね。

 ***

寺地はるな(てらち・はるな)
1977年佐賀県生まれ。大阪府在住。2014年『ビオレタ』でポプラ社小説新人賞を受賞しデビュー。2020年現在、『夜が暗いとはかぎらない』が山本周五郎賞にノミネートされている。他の著書に『今日のハチミツ、あしたの私』『やわらかい砂のうえ』など多数。

【聞き手】
小泉真規子(こいずみ・まきこ)
紀伊國屋書店梅田本店勤務。入社以来長らく文芸書を担当。
百々典孝(どど・のりたか)
紀伊國屋書店梅田本店勤務。専門書全般を担当。

構成:石井美由貴/写真:福田 拓/寺地はるな×百々典孝(紀伊國屋書店梅田本店)×小泉真規子(紀伊國屋書店梅田本店)

角川春樹事務所 ランティエ
2020年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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