小田原駅の西口にある喫茶店「ケルン」を下敷きに 作家・椰月美智子が語った『純喫茶パオーン』の創作秘話

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純喫茶パオーン

『純喫茶パオーン』

著者
椰月美智子 [著]
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413589
発売日
2020/08/07
価格
1,650円(税込)

椰月美智子の世界

[文] 角川春樹事務所

「こんな喫茶店、あったらいいな」と思わせる、『純喫茶パオーン』。喫茶店のマスターの孫である来人の視点を軸に、美味しい料理と不思議な事件を描くハートウォーミングな一冊。作者である椰月美智子さんから、喫茶店の裏側を紹介していただきます。

天啓のように「あ、作家になれる」と思ったんですよね

――まずは、椰月さんが作家としてデビューされるまでの経緯をお聞かせください。

椰月美智子(以下、椰月) 最初は、作家になりたくて憧れていたわけでもなかったんです。二十代後半の頃、友達と飲んでいた時、お互いに仕事の愚痴を言っていたんですけれども、私が何の気なしに「小説家にでもなろうかな」と言ったんです。宝くじが当たるかな、みたいな感じで。そうしたら友達が「なれるんじゃない? みっちゃんならなれるよ」みたいに言ってくれて。それを聞いて「なんだ、なれるんだ」と思って、次の日から書き始めたんですね。それで、五年ぐらいは挑戦してみようかと思って、第一作目を書いてから「公募ガイド」を買ってきて、あちこちに応募したんですけれども、一作目はどこにも引っかからずに終わりました。二作目の『十二歳』を書き終わって、さあ応募しようと思ったのですが、各文芸賞の締切がすでに過ぎていたんです。そんな中、たまたま一つだけ残っていたのが講談社児童文学新人賞で、タイトルも『十二歳』なので「これは丁度いい」と応募したら、見事採っていただいて、それがデビュー作になりました。 友達に「なれるよ」って言われた時、天啓のようにピーンと「あ、なれる」と思ったんですよね。「これだ!」と思った感覚がすごくあって。ああいう経験をまたしてみたいのですが、なかなかないですね(笑)。

――子供の頃は、どんな本を読まれていたんでしょう?

椰月 家に本が全然なくて、本読みの子供でもなかったんです。だから小さい頃は、本にはあまり触れてこなかったですね。本当に小さい時だと、保育園に行っている時に園で配られる絵本があって、その物語にすごく感動したなという思い出は残っています。中学生になってから読んだのは、姉が持っていた佐藤さとるさんの『コロボックル物語』。その後一番感銘を受けたのは、『アウトサイダー』(1983年公開 フランシス・コッポラ監督)という昔の映画があるんですけれども、映画の原作となった本が文庫であったんです。アメリカの不良の話で、それがすごく面白くて面白くて。保存用と、読書用と、友達に貸す用と、三冊同じ本を買ってました。それくらい、何度も読んだという感じですね。そこからまた読まなくなって、高校生になってから村上春樹さんの『ノルウェイの森』を読んで、「すごい、こんな本があるんだ!」と感動しました。それからは本屋さんで平積みになっている、いわゆる売れている本で目についた物を読むようになったという感じです。だから古典を全然読んでいなくて、話についていけない時がありますね(笑)。

昔、小田原城に象がいたんですよ。その鳴き声から『パオーン』にしました

――今回の『純喫茶パオーン』を書くことになったきっかけは?

椰月 当時の担当さんから『きみは嘘つき』というアンソロジーのお話を頂いたんですが、以前その担当さんが小田原にいらっしゃったことがあるんです。その時、小田原駅の西口にある「ケルン」という喫茶店で打ち合わせをしたんですね。そこがすごく印象深い喫茶店だったので、その店をアンソロジーの題材にしたら面白いんじゃないかと思って。

――そのケルンは、どんな雰囲気のお店なんですか?

椰月 小田原市民なら誰もが知っている、普通に喫煙してもいいという感じの昭和的な喫茶店です。マスターはかなりお歳を召しておられます(笑)。『純喫茶パオーン』に出てくるマスターは、ケルンのマスターをイメージしました。常連さんばかりの喫茶店かなと思い、少し敷居が高かったんですけど、行ってみたら全然低かったです(笑)。今では普通に入れるようになりました。

――実際に書くことになった時に、再度取材されたわけですか?

椰月 いえ、あとは想像力で……(笑)。でも、それからも打ち合わせ等で、何度か使わせてもらいました。

――喫茶店の名前、パオーンというのはどこから来たんでしょう?

椰月 小説の中のセリフで「象の鳴き声や」というのがあるんですが、昔は小田原城に象がいたんですよ。天守閣の前に動物園があって、ライオンやアシカなどいろいろな動物がいました。すごい光景でした(笑)。今はもう猿しかいないんですけど、当時は象もいて。確かウメ子という名前だったかと思います。そのウメ子がすごく印象深かったので、ウメ子の鳴き声から『パオーン』にしました。

――本書に収録されている「あまのじゃくだな、のっぺらぼう」は静岡新聞のこども新聞に連載されたものですが、新聞小説の連載というのは普通の小説の執筆スタイルとは違いましたか?

椰月 大抵は締切があって書くと思うんですけど、私はそういうことですごく焦ってしまうので、連載前に書き上げたものを出しました。なので、焦りみたいなものはなかったです。

――最初に全部書いて、新聞社の方で小分けにして掲載したというわけですね。

椰月 そうです。毎回どこで切れるとか何も考えずに、担当さんの方で調整してもらいました。

――このシリーズは主人公たちが成長していきます。小学生、中学生、少し空いて大学生。これは最初から成長させようと考えられていたんですか?

椰月 最初から考えていたわけではありませんでした。一作目のアンソロジーが小学生だったので、二作目は中学生にしようと担当さんとも相談して。新聞の主な読者層が、小学校高学年から中学生くらいということだったので、中学生にしたんです。三作目は高校生か大学生か悩んだんですけど、少し大人になってからの方がいいかなと思って大学生にしました。

――本書の中で読者に「この部分を楽しんでもらいたい」という部分がありましたら、教えていただけますか。

椰月 書いていて楽しかったのが、三章の書き下ろしですね。店に強盗が入ってきて人質に取られる時の、すごく緊迫する場面なのに、みんなの様子がどこか面白いという。なので、そこを読んで欲しいなと思います。特に圭一郎の挙動が面白いかと。

――最後に、今後の執筆活動のご予定をお聞かせください。

椰月 十一月に、くもん出版さんから初めての絵本が出ます。絵は小川かなこさんです。後はKADOKAWAさんの「野性時代」で連載があって、十二月には書き下ろしが一冊、こちらは出せればいいなあと(笑)。

――ありがとうございました。

 ***

椰月美智子(やづき・みちこ)
1970年神奈川県生まれ。2001年『十二歳』で第42回講談社児童文学新人賞を受賞し、02年にデビュー。07年『しずかな日々』で第45回野間児童文芸賞、08年第23回坪田譲治文学賞を受賞。17年『明日の食卓』で第3回神奈川本大賞を受賞。著書に『フリン』『るり姉』『伶也と』『14歳の水平線』『こんぱるいろ、彼方』などがある。

構成:三木茂

角川春樹事務所 ランティエ
2020年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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