書評家が紹介する、“食”にまつわる作品6選 椰月美智子『純喫茶パオーン』楡周平『食王』ほか

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  • 二百十番館にようこそ
  • 縁結びカツサンド
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エンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

驚くほどの暑さです。こんな時期は、涼しい部屋で、冷たい飲み物片手に、ゆっくり本を読みましょう。ついお菓子も摘まみたくなるような、“食”にまつわる作品をどうぞ!

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 コロナでバタバタしてるうちに花見もできず春が終わり、季節感を味わう余裕もなかったなあと思っていたら、打って変わって梅雨は驚くほどの豪雨、梅雨が明けたら殺人的な暑さと、いやいやそこまでの季節感は望んでませんから!

 もっと風情ある季節感をプリーズ!

 ということで今月は、最も季節感を味わえるもの──食べ物に注目して新刊をご紹介。料理そのものがテーマでなくとも、印象的な食の場面が出てくる作品は意外と多いのだ。

 まずは加納朋子『二百十番館にようこそ』(文藝春秋)から。就職活動につまずいて以来、実家暮らしでネトゲにはまるニート生活を送っていた俺。堪忍袋の緒が切れた親から「もう面倒はみない」と通告され、伯父の遺産だという離島の建物でひとりで生きていくはめに。高齢者ばかり二十人足らずの島の住民、不便な流通、厳しい自然。生活のため、元は会社の研修センターだったというその建物を利用し、ニート専用シェアハウスを営むことにしたが……。

 離島に集まったニートたちの、それぞれの事情と変化を明るく、そして優しく描いていく。人から否定されることを過剰に恐れたり、コミュニケーションが苦手だったり、人との距離感がわからなかったり、過去の傷を抱えていたりという彼らが、島の中で少しずつ「できなかったことができるようになる」過程がとても力強く、ついつい前のめりになって応援してしまった。

 ニートが社会を知るという設定は決して目新しいものではない。なのにぐいぐい読まされてしまうのは、離島という舞台の巧さだ。高齢者ばかりという環境の中で教えられることが多い一方、若者が手助けできることも多々ある。世代を超えてコミットすることの面白さと奥深さ。さらに、ミステリ作家らしいちょっとした謎と感動的な謎解きが、本書の大きな魅力だ。

 そして何より、島メシの美味しそうなこと!

 おばあちゃんたちが作ってくれる魚料理はもちろんのこと、猪肉を焼いたりカレーにしたり。ニートたちが入手可能な材料であれこれ工夫して作るくだりもとてもいい。ラーメンスープの再利用に萌えまくったぞ。

 冬森灯『縁結びカツサンド』(ポプラ社)は駒込の商店街にある昔ながらのパン屋さん「ベーカリー・コテン」に集う人々の人間模様を描いた連作短編集だ。創業者である祖父のようなパン屋になれるのか悩む三代目、婚約者と急に連絡がとれなくなったOL、就活がうまくいかずに焦る大学生、ある人をずっと探し続けている小学生。常連客の怪しい占い師や、合気道ができるバイトの女の子、その兄である肉屋の息子もいる。賑やかで楽しいことこの上ない。

 彼らが悩んでいるとき、落ち込んでいるとき、コテンのパンに励まされたり助けられたりする。そこで助けられた人が、また別の人を助ける。パン屋の三代目もまたお客さんに助けられ、店主として成長していく。人がつながっていく様子は、商店街という舞台もあいまって「地縁」という言葉を思い出させてくれた。

 もちろん全編に美味しそうなパンが目白押し!

 昔ながらのパン屋さんだけあってそのラインナップもドーナツにチョココロネ、カレーパン、カツサンドという王道ぶりだ。読んでる途中でもうカレーパンを食べたくて食べたくて。

 昔ながらの、といえば、椰月美智子『純喫茶パオーン』(角川春樹事務所)は昔ながらの純喫茶が舞台だ。開店から半世紀近い祖父母の喫茶店「パオーン」が大好きな孫息子、来人の視点で綴っていく。

 連作形式で、第一話では小学校五年生の来人が「サンタさんは実在する」と言い、嘘を見破るという鏡が登場する。おやおや、可愛らしいファンタジックな小説なのかな、と思ってページをめくると、第二話の来人は中学生、そして最終話の第三話では大学生と成長し、彼がぶつかる悩みもその年代ならではのものになっていく。

 来人の友達や喫茶店の常連さんも、進路が決まったり恋をしたり。小学生の頃にレモンスカッシュを飲んでいた幼なじみが、大学生になって店を手伝ってくれたりもする。そこだけ見れば来人の青春小説であり成長小説なのだけれど、目を引くのは、来人の成長と反比例するように祖父母が老いていくという事実だ。おかしな方言を駆使する楽しいおじいちゃんとおっとりしたおばあちゃんというキャラこそ変わらないが、少しずつ前のようにはいかないことが出てくる。本書はキュートな物語に見えて、実は時の流れがもたらす変化を描いた作品なのだ。

 時が流れるにつれて、さまざまなものが変わっていく。小学校五年生の出来事は、次の話ではすでに思い出になっている。そんな中で変わらないのが純喫茶パオーンであり、パオーンのミルクセーキやナポリタン、ミックスサンド、オムライスなどの味だ。変わらないものがあるからこそ、その対比として変わったことがわかる。これは巧い。そして変わらないものの存在が、ときに足元を照らす灯火になり、時に鳥が羽を休める岩場になるということまで、本書を読むと伝わってくる。

 昔ながらの個人商店がふたつ続いたところで、ぐっと視点を変えて大企業の話を。楡周平『食王』(祥伝社)だ。

 外食チェーンの経営者・梅森が、恩のある築地の社長に頼まれて中古ビルの購入を決意した。一等地にありながら裏通りに面しているため飲食店には向かないと言われるそのビルで、いったい何ができるのか。梅森は広く社員からのアイディアを募ったが──。

 本書にはこの外食チェーンの社長の他に、金沢の老舗料亭で働く板前や、岩手出身で就職活動中の女子大生、梅森社長のやり方を苦々しく思っている部下など、複数の視点人物がいる。金沢の板前は東京出店計画を巡って社長と次期社長の板挟みになり、女子大生は海外で働きたいという夢と震災の影響で寂れゆく地元の間で板挟みになる。そんなばらばらの問題が思わぬ形でひとつになっていくのが読みどころだ。

 面白いのは、読者はひとりひとりの事情を知った時点で、具体的な方法はわからないまでも、たぶん彼らが結びつくんだろうなあと予想できること。ところが彼らがなかなか出会わないのである。パズルのピースがあちこちにあるのに、それが見えているのは読者だけ。しかも読者にも、そのピースが合わさったときにどんな絵が見えるかまではわからないという、もうじれったいやら先が気になるやら!

 その分、ラストの爽快感は文句なし。なるほどそう来たか、その手があったかと目から鱗がダースで落ちた。企業小説であると同時に、地方創生や流通問題、働き方の問題まで盛り込んだ、とても元気の出るエンターテインメントである。

 寺地はるな『やわらかい砂のうえ』(祥伝社)は、税理士事務所で働く駒田万智子の恋から話が始まる。事務所の顧客に頼まれお手伝いしていた先で出会った早田に好意を抱き、いつの間にか付き合うことに。戸惑いつつもはじめは嬉しかった万智子だが、ふとしたときに見せる早田の「女の子はこういうもの」という考え方に次第に違和感を覚えるようになり……。

 と書くと、古いジェンダー観と戦う女性の話のように見えるだろう。だがそうではない。本書は、価値観や考えはひとりひとり違うのが当たり前ということを説いている。恋愛観にしろ人生観にしろ、万智子の考えはとても筋が通っていて共感できるものばかりだけれど、自分の考えと違う人をその都度拒絶していては何が残るだろう?

 万智子の周囲にいる人生の先輩たちは、そんな万智子を少しずつほぐしていく。この先輩たちとの「女子会」がすごくいい。刺戟的なタイ料理。公園で食べるバゲットサンド。美味しそうなものがたくさん出て、たくさん食べて、たくさん話して。そんなコミュニケーションの中で万智子は、自分が大事にしたい感覚があるように、他人にもまた大事なものがあるということを次第に理解していくのだ。自分を理解することは他人を理解することにつながる。自分を大事にすることと、相手を大事にすることにつながる。万智子が何かひとつ気づくたびに、読んでいるこちらの胸にも万智子の思いがすぅっと染みてくる。それこそ、やわらかい砂に水が染み込むように。

 おっと、季節感が云々と言っておきながら、ここまではパンだのタイ料理だの、あまり季節感のある食べ物は出てきてないぞ。じゃあ、これでどうだ。櫻田智也『蟬かえる』(東京創元社)。昆虫好きの青年・魞沢泉を探偵役にした短編集のシリーズ第二弾である。

 さっき目の前を通った少女が忽然と姿を消した謎。団地の一室で母が死に、近くの交差点で娘が交通事故に遭ったことに因果関係はあるのか。中東から来た青年を死に追いやったものは何だったのか……などなど、五つの事件に魞沢が挑戦する。飄々としたキャラクター、昆虫のことになると話が止まらなくなるオタク気質。ちょっと浮世離れしたほのぼの系の探偵だが、その謎解きは実に鮮やか。特に唸るのは、絶妙な伏線の張り方だ。それがヒントだったのか、と何度のけぞったことか。それが決して派手に奇を衒うようなものではなく、とてもエレガントでスマートなのが特徴だ。白眉は「ホタル計画」。この仕掛けには参った!

 え、季節感のある食べ物はどうしたって?

 実は表題作に蟬を食べる話が出てくるのだ。炙るのと素揚げとどっちがいいかという……そんな季節感は要りませんかそうですか。

 もう少しすれば食欲の秋、そして読書の秋。秋こそ、災禍なく季節を存分に楽しめますように。

角川春樹事務所 ランティエ
2020年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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