「世界文学」はつくられる 秋草俊一郎著

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「世界文学」はつくられる

『「世界文学」はつくられる』

著者
秋草 俊一郎 [著]
出版社
東京大学出版会
ジャンル
文学/文学総記
ISBN
9784130801089
発売日
2020/07/10
価格
5,390円(税込)

書籍情報:openBD

「世界文学」はつくられる 秋草俊一郎著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

 一九九〇年代からあと、アメリカで刊行された「世界文学」のアンソロジーの本は数種類ある。近代日本の作家で、そこでの収録件数がもっとも多いのは誰か。答えは夏目漱石でも森鴎外でもハルキでもなく、樋口一葉。日本の代表というより、非西洋の文学伝統を体現する、アジアの女性作家という位置づけである。

 戦後、アメリカの「世界文学」アンソロジーは、大学で西洋文学を教えるために編集・出版されてきた。選定には、北米での文学教育という観点が入りこむ。だが西洋中心のカノン(正典)のリストに疑念がさしはさまれ、多文化主義やフェミニズムの観点が主流になった結果、樋口一葉が一番人気になった。

 「世界文学」の言葉そのものはゲーテに由来する。それは十九世紀以降、現在に至るまで、各国でさまざまに理解され、多様な「世界文学」の全集・アンソロジーを生んだ。秋草俊一郎はそのようすを、アメリカ・ロシア・日本にわたる視野で概観する。たとえば戦後の日本では、消費社会の発展と高等教育の普及とともに、『世界文学全集』のブームが起き、一種の家具として家庭に備えられた。懐かしい光景として憶(おぼ)えている人も多いだろう。

 かつてのソヴィエト連邦における『世界文学叢書(そうしょ)』は、イデオロギーによる統制を強く受けながら、ソ連内の各民族語文学をロシア語に翻訳し、紹介することに努めていた。その指摘も興味ぶかい。こうした少数文化の維持政策が、のちの連邦の解体、民族国家の自立につながった側面もあるだろう。

 「世界」が共有すべきすぐれた文学作品とは何か。その基準を考え、「名作」を選び出す営みが、政治や社会の秩序を維持し、あるいは再編成する動きに関わってゆく。本書が投げかけるのは、異なる言語の文学を理解する方法とともに、文学をめぐる広い意味での政治に関する問いにほかならない。

 ◇あきくさ・しゅんいちろう=1979年生まれ。日本大准教授。著書に『ナボコフ 訳すのは「私」』。

読売新聞
2020年8月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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